人生の幸・不幸は自分が決めている
人生の幸・不幸は、結局、自分が決めている。世の中で起きるすべての出来事には、幸福・不幸といった色は付いていない。物事に幸・不幸といった色を付けているのは自分自身なのだ。他人が何かをしたから幸福になった。あるいは不幸になったなどは無いのだ。
人生の幸・不幸は、結局、自分が決めている。世の中で起きるすべての出来事には、幸福・不幸といった色は付いていない。物事に幸・不幸といった色を付けているのは自分自身なのだ。他人が何かをしたから幸福になった。あるいは不幸になったなどは無いのだ。
目の前のことに不平不満を言っている人は、どんな幸福が目の前にあっても、それを感じることができない。幸福とは小さなことを幸福だと感じることから育てていくものだからだ。不幸になる最短距離は不平不満をいうことなのだ。
人は自分と他人をどうしても比べてしまうものだ。人と比べることでしか自分自身を計れないからだ。そして自分が劣っていると劣等感を抱き、それがひどいと怒りに変わったりする。自分が優れていると感じると優越感を抱き、そこに価値を感じるようになってしまう。
幸運は自分が幸福であるという気分のときにやってくる。これは自分の持つプラスの感情が幸運を引き付けるからである。だから幸運を掴む為には、まず自分が幸せでなくてはならない。幸せを感じていなければ幸運もやってこないのだ。
誰もが幸せになりたいと願っている。しかし、幸せになるための準備ができている人は稀なのである。いざチャンスが巡ってきても、結局それをつかむことができないまま終わってしまう。幸せになりたければ、幸せになるための準備が必要なのだ。
幸福になる絶対条件は、自分のことが好きであることだ。一番身近にいる自分が嫌いであると、常にその嫌いであることを目にしなければいけなくなる。毎朝、鏡を見るたびに嫌いな自分を見るのでは、幸福には絶対になれないのだ。
誰もが不足を補うために頑張って働き努力をする。しかし、これではいつまでも幸せにはなれない。もっともっとと、考えるのが人間の常だからだ。不足に焦点が当たっているうちは、常に欠乏感に苛まれる。大事なことは、「知足」つまり、足るを知ることである。
世の中には小さな出来事で大きく幸せを感じれる人もいれば、どんなに素晴らしいことがあっても、あまり幸福を感じることのできない人がいる。幸福の度合いはその人がどれだけ感じられるかだ。だから感受性の豊かな人ほど幸福に生きることができる。