大人になると夢がなくなる理由|現実を知るほど夢が小さくなる

人知編
会社の売上目標や来年の予定は答えられるのに、「これから自分はどんな人生を望むのか」と聞かれると言葉が止まる。長く経営を続けるほど、会社の未来は考えても、自分の夢は後回しになりやすい。大人になって夢がなくなったように感じる時、失ったのは夢そのものとは限らない。
▶ 【人知編(氣の経営)】
このカテゴリーの記事一覧に進む

大人になって夢がないと感じる背景には、年齢だけでなく、会社の責任や過去の失敗を先に考え、望みが形になる前に実現可能性を判断する癖がある。人生後半では、何を望むかと、資金・身体・時間・家族などを見ながらどう実現するかを分けて考える必要がある。

会社の目標はあっても夢が見えない

会社の目標は語れても、自分がこれから何を望むのか答えられない。経営を続けるほど、その逆転は見えにくくなる。

会社の数字や来年の予定は具体的に考えている。それなのに、自分が五年後にどんな一日を送りたいのかは言葉にしにくい。夢がなくなったように感じる時、その背景には年齢だけでは説明できない、会社の未来と自分の未来の順序の入れ替わりがある。長く経営するほど、その差は見えにくい。

子どもに「誕生日に何が欲しい?」と聞くと、次々に名前が出てくる。おもちゃ、ゲーム、自転車、行きたい場所。実現できるかどうかを考えるより先に、欲しいものが口から出てくる。
同じ質問を大人にすると、返事はずいぶん違う。
「特にないな」
「欲しいものはだいたい持っている」
「何でもいいよ」
物欲がなくなっただけなら、それでも構わない。気になるのは、物だけでなく、仕事や暮らしについて聞かれても、同じような答えになる時だ。
これからどんな仕事をしたいのか。どんな場所で暮らしたいのか。誰と時間を過ごしたいのか。何を残しておきたいのか。そう聞かれた時、自分が何を望んでいるかが、すぐには浮かんでこない。
大人になって夢がなくなった、と本人は思う。
だが、夢そのものが消えたのか、長い間、自分の望みに注意を向けなくなったのかでは意味が違う。
仕事をしていれば、考えることはいくらでもある。経営者ならなおさらだ。今日の仕事、来月の売上、支払い、顧客への対応、商品のこと、予定の調整。会社について考える時間は、一日の中に何度もある。
「来月はどうしますか」と聞かれれば答えられる。
「今年の売上は」と聞かれても数字が出てくる。
ところが、「5年後、どんな一日を過ごしていたいですか」と聞かれると、急に話がぼんやりする。
会社の未来については考え続けているのに、自分の未来は後回しになる
これは珍しい話ではない。経営を何年も続ければ、会社には顧客も取引先も約束も生まれる。毎月払うものも増える。自分一人の気分だけでは変えられない事情が積み上がる。事業は、自分の希望だけで動くものではなくなっていく。
始めた頃は、「こんな仕事がしたい」「こんな生活をしたい」という思いがあった人でも、年月が経つにつれて、考える順番が変わる。
まず会社をどう維持するか。
売上をどう確保するか。
顧客へ迷惑をかけないためにどうするか。
そうして会社の未来ばかり考える時間が増え、自分がこの会社を使って何を実現したかったのかは、少しずつ話題にならなくなる。
会社を続けることには意味がある。長く続けてきた事業には、数字だけでは測れない信用や関係もある。簡単に手放せるものでもない。
それでも、会社が続いているという事実と、経営者自身が望む人生を生きているという事実は別である。
自由に働きたいと思って始めた会社が、いつの間にか「自分が守らなければならないもの」へ変わる。その変化自体がおかしいわけではない。事業を続ければ責任は生まれる。
ただ、その責任が長く続くうちに、守ること自体が目的になると、自分の望みはますます見えにくくなる。
会社には目標がある。
予定もある。
数字もある。
それなのに、その会社を経営している自分が、これから何を欲しいのかは分からない。
夢がなくなったと決める前に、この逆転には少し目を向ける余地がある。

会社の未来を考え続けながら自分の夢が見えず立ち止まる経営者の戸惑い

大人になれば、現実を見る力は必要になる。経営をしていればなおさらだ。やりたいと思ったからといって、資金がなければ始められない。身体が追いつかなければ続かない。家族や顧客との約束もある。時間にも限りがある。
だから「もっと現実的に考えたほうがいい」という言葉そのものが間違っているわけではない。
問題は、その言葉がいつの間にか、望むことまで止める理由になるところにある。
「一か月くらい仕事を離れて旅をしてみたい」
そう思った直後に、「そんなに休んだら売上が落ちる」と考える。
「もう少し好きな仕事だけに絞れたらいい」
そこへすぐ、「昔からの顧客を断るわけにはいかない」が入る。
「これまでの経験を文章に残してみたい」
そう浮かんでも、「この歳から始めても仕方がない」「人に読ませるほどのものではない」と、自分で話を終わらせる。
ここでは、まだ何も決めていない。会社を休むとも、顧客との関係を変えるとも、本を書くとも決めていない。ただ「こうだったらいい」と思っただけである。
それなのに、頭の中ではすでに採算や失敗や周囲の反応まで検討が始まっている。
夢が形になる前に審査が始まる。
長く経営をしてきた人ほど、こうした判断は速い。何にいくらかかるか。どこで問題が起きそうか。誰に影響が出るか。過去に何がうまくいかなかったか。若い頃には見えなかったものが、いくつも見える。
それは経験であり、経営者として身につけてきた判断力でもある。
ただ、その力を「何を望むか」という段階から使えば、ほとんどの夢には難しい理由を見つけられる。
海外で暮らしたいと思えば、会社がある。
仕事を減らしたいと思えば、売上がある。
新しいことを始めたいと思えば、年齢がある。
今までと違う生き方を考えれば、これまで築いてきたものがある。
現実を知っている人ほど、できない理由を具体的に説明できる
しかも人生後半になると、「今さら」という言葉が加わる。
20代なら「やってみたい」で済んだことも、50代、60代になると、「残された時間」「身体」「これまでの経歴」「今の立場」まで考える。その条件を考えること自体は自然である。
しかし、それらは本来、実際に何をするかを決める時に見る材料だ。
「何を望んでいるのか」を考える前から使えば、まだ生まれてもいない選択肢まで消えていく。
年齢は変えられない。過去の失敗も消えない。会社には現実の責任がある。だから、何でもできると考える必要もない。
それでも、現実を見ることと夢を小さくすることは同じではない。
実現できるか。
いつならできるか。
どんな形なら可能か。
誰にどんな影響が出るか。
それらを考える前に、「自分は何を望んでいるのか」という問いがある。
ところが長い年月の中で、この順番が逆になっている人は少なくない。できるかどうかを先に考え、その条件を通過できたものだけを「望んでもよいもの」として残す。
そうなれば、最後に残るのは現実的な選択肢ばかりになる。
本人から見れば、それは「夢がなくなった」ということになる。しかし、夢がなくなったというより、夢を持つ前に却下していると考えたほうが、今の状態を正確に捉えられる場合がある。
では、なぜ大人になるほど、この審査が早くなるのか。
そこには、周囲から受け取ってきた言葉だけではなく、経営の責任、失敗した経験、失いたくないもの、そして現実を知ったからこその判断が重なっている。

【関連記事】:

現実を知るほど夢が小さくなる

夢が消えたのではなく、現実や責任を先に並べるうちに、望みが形になる前に自分で消してしまうようになる。

現実を知るほど、資金、時間、家族、顧客への影響まで先に見えるようになる。そこへ過去の失敗や周囲から受け取った価値観が重なると、望みが浮かんだ瞬間に「できるか」の判断が始まる。大人の夢が小さくなる過程には、経験ゆえの理由がある。慎重さだけでは片づけられない。

「今あるもので満足しなさい」
多くの人が、どこかで似た言葉を聞いてきたはずだ。欲張らないこと。足元を見ること。与えられているものに感謝すること。どれも、生活を壊さずに生きるための知恵として働く。
実際、今ある仕事や顧客、家族、住まい、健康へ感謝することと、これから別の未来を望むことは矛盾しない。
それでも、「満足する」という言葉が、いつの間にかこれ以上を望まない理由へ変わることがある。
今の売上で生活できている。
仕事も途切れていない。
大きな問題も起きていない。
そうであれば、さらに何かを望むのは贅沢ではないか。もっと自由な時間が欲しい、好きな仕事へ絞りたい、別の場所で暮らしてみたい。そんな思いが出ても、「今あるものに感謝しなければ」と自分で引っ込める。
感謝と諦めが、そこで混ざる。
親や教師、周囲の人から「もっと現実的に考えろ」と言われた経験もあるだろう。言った側には、無茶をして傷ついてほしくない、生活を安定させてほしいという思いがあったのかもしれない。その助言が間違っていたと決める必要はない。
ただ、長く聞いてきた言葉は、やがて他人の声ではなくなる。
誰にも何も言われていないのに、自分の中から「そんな夢みたいなことを言っても仕方がない」という声が出てくる。
こうして他人の言葉が自分の判断になる
しかも、大人には現実を裏づける材料がたくさんある。
旅行へ行きたいと思えば、仕事の日程が見える。
店を休みたいと思えば、固定費が浮かぶ。
仕事を減らしたいと思えば、売上が気になる。
新しいことを始めたいと思えば、これまで使った時間や資金を考える。
経営者なら、顧客への責任や契約、従業員、借入まで抱えている人もいる。何か一つ変えれば、別のところへ影響が出る。その現実を知っているからこそ、簡単には動けない。
ここには、若い頃にはなかった知識がある。
そして同時に、できない理由を探す材料も増えている
経験が増えるほど、危ない場所が分かる。何を失う可能性があるかも見える。以前なら「やってみたい」で終わった話が、「資金は」「時間は」「失敗したら」と、すぐ計算へ変わる。
これは、慎重さだけの問題ではない。経営を続けるには必要だった判断でもある。
たとえば、思いつきだけで高額な設備を入れれば資金繰りを圧迫する。顧客との約束を無視して長く休めば信用にも影響する。現実を読む力は、会社を守るために使われてきた。
その力が強くなるほど、「何をしたいか」と考える場面でも同じ判断が働く。
「週に三日だけ働けたらいい」
そう思った瞬間、
売上はどうする。
顧客対応は誰がする。
今の固定費では無理だ。
そんな働き方では会社が続かない。
と、答えが次々に出てくる。
まだ実行すると決めてもいない。条件を調べてもいない。それでも、望みより先に結論が出る。
経験は可能性を見る力にも、閉じる力にもなる。
若い頃のように何も考えず夢を見ることへ戻る必要はない。大人には大人の現実がある。経営者には経営者の責任がある。
ただ、その現実を知っていることと、何を望んでよいかまで現実に決めてもらうことは別である。

現実や過去の経験を先に考えて夢を小さくしてしまう大人の迷い

現実的な判断が早くなる理由は、経験が増えたからだけではない。過去に期待して、動いて、それでも届かなかった記憶も残っている。
若い頃には、会社をもっと大きくしたかった。売上を増やしたかった。人を雇い、店舗を広げ、自分の名前で仕事をしたかった。思い切って新しい商品を出した人もいれば、借金をして設備を入れた人もいるだろう。
そのすべてが、思った場所へ届いたわけではない。
商品が売れなかった。景気が変わった。大きな会社が参入してきた。資金が続かなかった。信用や販売網の差を埋められなかった。家庭の事情で仕事へ使える時間が減った。身体の調子が変わり、それまでと同じ働き方を続けられなくなった。
長く経営していれば、努力では動かなかった現実にも出会う。
それでも人は、結果が出なかった時に「自分の判断が悪かった」「もっと頑張ればよかった」と、自分の側へ理由を集めやすい。反省そのものは必要でも、市場や資金、競争条件、時代まで抜いてしまえば、現実の半分しか見ていない。
そして、届かなかった経験は次の判断へ残る。
「もうあんな思いはしたくない」
「大きな期待をしなければ、失望もしない」
「今あるものを守ったほうがいい」
そう考えるようになると、失敗を避ける判断が先に立つ
これは臆病だからではない。過去に実際の損失や失望を経験しているから、頭が早く危険を拾うようになっている。資金を減らした記憶も、顧客を失った経験も、家族へ心配をかけた時間も、簡単には消えない。
問題は、その記憶が「どう実現するか」だけでなく、「何を望んでよいか」にまで入り込むところにある。
本当は仕事を減らしたい。
もう一度、新しい商品を作ってみたい。
違う場所で暮らしてみたい。
自分の経験を形に残したい。
そんな思いが浮かんでも、過去の失敗がすぐに出てきて、「またうまくいかなかったら」と止める。
こうして、過去の失敗が未来の上限になる
ここまで来ると、「夢がない」という感覚はかなり説明しやすくなる。周囲から受け取った価値観だけではない。現実を知った経験、失敗した記憶、守るものが増えた責任。それらが重なり、望みが浮かんだ瞬間に経営判断が始まる。
夢を見る。
実現できるか考える。
条件を確認する。
やるかどうか決める。
本来は別々に存在するはずの段階が、一つに縮まっている。
そのため、「こうしたい」と思った瞬間に「無理だ」という結論まで進む。まだ資金も調べていない。方法も比べていない。時期も決めていない。それでも、過去の経験が先回りして答えを出してしまう。
夢と判断が同時に始まっているのである。
経営では、資金を見る。時間を見る。身体を見る。家族や顧客への影響も見る。それらを外して判断すれば、現実から離れてしまう。
ただし、それらは「夢を持ってはいけない理由」ではない。実際にどうするかを決める時の条件である。
ここを分けておかないと、現実的であろうとするほど、選択肢そのものが減っていく。
人生後半には、若い頃より条件が増える。同時に、経験も増えている。何を失いたくないかも分かっている。その現実は無視できない。
それでも、現実は夢を禁止するものではない。
夢を見る段階と、経営判断する段階が混ざっていると分かれば、「夢がない」という言葉の中に、別の現実が見えてくる。
【卦象ミニコラム】
夢が削られる局面
卦象:山地剥|削られるものを見る
変化|望みより先に制約が積み重なる局面
山地剥は、物事が少しずつ剥がれていく局面を表す卦である。「剥」には、草木の葉が落ちるように、形を保っていたものが次第に失われる含みがある。 夢も突然なくなるとは限らない。現実、責任、過去の失敗を先に置くたびに、「こうしたい」という望みの輪郭が少しずつ削られていく。見たいのは夢の大小ではなく、何がその望みを削っているのかという現在の状態である。

【関連記事】:

人生後半の夢は規模では決まらない

仕事を減らしたい、時間を増やしたい、好きな仕事を残したい。その願いを「夢と呼ぶほどではない」と値引きしていないか。

仕事を減らしたい。好きな仕事だけ残したい。自由な時間を増やし、経験を形に残したい。そんな願いは、売上や規模を増やす目標より小さく見えやすい。だが、人生後半では外から見える大きさより、自分の残りの時間を何に使いたいかが夢の意味を変える。増やすことだけが夢ではない。

「できることなら、仕事を少し減らしたい」
そう思っていても、それを夢と呼ぶ人は少ない。
週に三日だけ働きたい。午後は仕事を入れたくない。年に一度くらいは、一か月ほど仕事から離れてみたい。予定のない日をもっと増やしたい。
こうした望みは、売上を倍にする、店を増やす、有名になる、といった目標に比べると小さく見える。
だから、自分でも「そんなのは夢ではない」と扱ってしまう。
しかし、人生後半では、欲しい時間も経営の結果である。
売上が増えても、一年中予定に追われる。仕事が途切れなくても、休みたい日に休めない。顧客から必要とされていても、自分の時間を自由に使えない。
数字だけを見れば順調でも、その経営が自分の望む人生へ近づいているとは限らない。
それでも、売上には目標を置く。
前年より何%伸ばすか。月商をいくらにするか。新規客を何件増やすか。数字には期限をつけ、計画を立てる。
一方で、「自分は一年にどれくらい自由な時間が欲しいのか」は、経営の目標として扱われにくい。
欲しい時間は「余裕ができたら」と後へ送られる。
だが、仕事というものは、放っておけば自然に減るとは限らない。頼まれれば受ける。長い付き合いの顧客から声をかけられれば応える。空いた時間には別の仕事を入れる。
その結果、売上には目標があり、時間にはないという状態が続く。
ここには、夢の物差しが表れている。
増えるものは前向きに見える。
減らす話は、後退に見えやすい。
仕事が増える。顧客が増える。売上が増える。会社が大きくなる。こうした変化は、経営の成果として説明しやすい。
反対に、仕事を減らしたいと言えば、「経営が苦しいのか」と受け取られることもある。働く日を減らしたいと言えば、「やる気がなくなったのか」と見られるかもしれない。
だから本人まで、自分の望みを小さく扱う。
本当は自由な時間が欲しいのに、「そんな大げさな話ではない」と済ませてしまう。
しかし、その時間を何に使いたいのかまで考えれば、話は変わる。
家族と過ごしたい。
好きな場所へ行きたい。
身体を休ませたい。
新しいものを学びたい。
自分の経験を形にしたい。
そのどれも、売上の数字には表れない。けれど、経営者自身の人生から見れば無視できない。
仕事を減らしたいという望みは、単に働きたくないという話ではない。その奥に、これから何へ時間を使いたいのかという問題がある。
同じことは、仕事の中身にも起きる。
長く付き合ってきた顧客から依頼が来る。以前なら迷わず受けていた仕事だ。売上にもなる。断れば関係が変わるかもしれない。
ところが、今の自分が本当に力を使いたい仕事とは少し違う。
それでも「昔からの付き合いだから」「売上が減るから」と受け続ける。
一件なら大きな問題には見えない。だが、それが積み重なると、続けたい仕事へ使う時間が減る
経営者は、何を始めるかだけで会社の形を作っているのではない。
何を引き受け続けるかによっても、自分の未来を決めている。
昔から続いている仕事と、これからも続けたい仕事は、必ずしも同じではない。
その違いが見えなくなると、「夢がない」と思いながら、実際には自分の時間を過去の選択へ使い続けることになる。

人生後半の働き方と時間を見つめ自分にとって大きな夢を思い描く経営者の希望

時間の使い方を見ていくと、もう一つ見えてくるものがある。
それは、今の仕事から何を残したいのかという問題だ。
長く仕事をしてきた人ほど、経験の中には形になっていないものが多い。顧客とのやり取りで身につけた判断、失敗から覚えたこと、何度も説明してきた知識、自分なりに工夫してきた仕事の進め方。毎日の仕事では当たり前に使っていても、その人が仕事を離れれば消えてしまうものも少なくない。
「いつか、この経験を文章にしてみたい」
「自分が覚えてきたことを、何かの形で残したい」
「毎回同じ説明をしているなら、一つの商品にできるかもしれない」
そんな考えが浮かぶことはある。
ところが、それには今日の締切がない。
目の前には、返事を待っている顧客がいる。見積もりもある。請求もある。今月の売上になる仕事がある。
すると、まだ売上になっていない望みは後へ回される。
明日。
来月。
少し仕事が落ち着いてから。
そうして数年が過ぎる。
残したいものほど後回しになるという現実は、人生後半になるほど無視しにくい。
目の前の仕事には期限がある。一方、自分の経験を文章にすることや、知識を商品として残すことには、誰かが締切を決めてくれるわけではない。
そのため、急ぐ仕事ばかりが時間を取り、将来へ残したかったものはいつまでも「いつか」のままになる。
そして、ここにも「今さら」という言葉が入ってくる。
「この歳から本を書くほどでもない」
「自分の経験なんて、人に伝えるほど大したものではない」
「もう新しい商品を作る年齢でもない」
本当に価値がないのかを確かめたわけではない。読者や顧客の反応を見たわけでもない。それでも、自分の経験を先に値引きする
若い頃なら、大きな夢には分かりやすい形があった。
会社を大きくする。
売上を増やす。
人を雇う。
店を持つ。
名前を知られる。
増えるほど成果が見える。周囲からも理解されやすい。
ところが人生後半になると、望みの形が変わってくる。
週に働く日を減らしたい。
付き合う顧客を選びたい。
好きな仕事だけ残したい。
家族との時間を増やしたい。
自分の経験を文章や商品に残したい。
会社を無理のない形で終えたい。
外から見れば、どれも「大きくする話」ではない。
だからこそ、自分でも夢として扱わないことがある。
しかし、会社を一店舗増やすことより、一年の半分を自由に使えるようになることのほうが、その人の人生を大きく変える場合もある。
売上を二倍にすることより、嫌な仕事を減らし、残したい仕事だけを続けることのほうが切実な人もいる。
夢の大きさは規模では決まらない。
若い頃の夢が間違っていたわけではない。会社を大きくしたい時期があってもいい。もっと稼ぎたいと思うこともある。
ただ、その物差しを人生後半までそのまま使えば、今の自分が望んでいるものを小さく見積もることになる。
「もっと自由な時間が欲しい」という願いを、売上目標より下に置く必要はない。
「好きな仕事だけ残したい」という思いを、経営目標として小さいと決める必要もない。
「経験を後へ残したい」という願いも、名声を得るためでなくてよい。
その望みが自分のこれからの人生を大きく変えるなら、本人にとって十分に大きな夢である。
ここまで来ると、「自分には大きな夢がない」という言葉の意味も変わってくる。
夢がないのではなく、増やす夢だけを夢と呼んでいたのかもしれない。
これから何を増やすかだけではなく、何を減らしたいのか。何を残したいのか。どんな時間を生きたいのか。
人生後半の夢は、そうしたところにも姿を現す。

【関連記事】:

夢は大きく経営判断は現実を見る

夢は大きく描いていい。実現できるか、いつ動くか、何を変えるかは、資金や身体や時間を見ながら別に判断すればいい。

大きな夢を持つことと、大きな決断をすることは同じではない。望みは自由に描けても、実際の経営では資金、身体、時間、家族、顧客を無視できない。夢と判断を一緒に縮めるのではなく、それぞれを別に扱うと、人生後半の選択肢は違って見えてくる。現実は、夢の敵ではない。

夢の話をすると、「そんなことを考えて、現実から離れてしまわないか」と感じる人もいる。
仕事を減らしたい。
一年のうち一か月は海外で暮らしたい。
会社をもっと小さくしたい。
これまでとは違う仕事をしてみたい。
そんな望みを自由に考えたら、今ある会社を壊してしまうのではないか。顧客へ迷惑をかけるのではないか。収入が減るのではないか。そうした心配が出るのは当然である。
だが、「こうなったらいい」と思うことと、明日から実行することは同じではない。
望むことと動くことは別である。
一年のうち一か月は海外で暮らしたいと思ったからといって、すぐ会社を閉じる必要はない。仕事を半分にしたいと思っても、明日から依頼を半分断る話ではない。新しい仕事をしてみたいという夢が浮かんでも、今ある事業をすべて捨てる理由にはならない。
夢を持った瞬間に、人生を大きく変える決断まで求めるから、夢そのものが怖くなる。
「そんなことを考えたら、やらなければならない」
「できないなら、考えても意味がない」
そうして、実行できると分かっているものだけを望むようになる。
しかし、それでは夢というより、すでに実現可能性を確認した予定に近い。
経営では現実を見る必要がある。
資金は足りるのか。
顧客への影響はどうか。
家族との関係はどうなるのか。
身体は持つのか。
契約上の問題はないか。
生活を支える収入は残るのか。
こうした条件を無視して、思いつきだけで会社を動かせば、別の問題を生む。夢があるという理由だけで大きな投資をしたり、長年の顧客との関係を突然切ったりする必要もない。
経営判断には現実が要る
だからといって、現実の条件を夢の入口へ置く必要はない。
「一か月海外で暮らしたい」という望みがあるなら、その望み自体はそのまま持てる。実際にどうするかを考える段階になってから、仕事をどうするか、資金はいくら必要か、家族との時間はどうなるかを見ればいい。
夢の大きさと、行動の大きさまで同じにする必要はない。
会社を小さくしたいという夢もそうだ。
会社を半分にするか、仕事の種類を減らすか、働く日を減らすか、役割の一部を誰かへ渡すか。同じ「自由に働きたい」という望みでも、現実へ表す形はいくつも考えられる。
今は何も変えず、数年後へ向けて考えるという判断もある。
同じ夢にも形はいくつもある
夢を「全部叶えるか、全部諦めるか」という二択にすると、現実を知っている大人ほど諦める側を選びやすい。会社や家族や顧客を抱えていれば、なおさらである。
だが、夢そのものを小さくしなくても、時期や方法は変えられる。
50代、60代になれば、若い頃と同じ方法で実現できないものもある。身体も違う。使える時間も違う。背負っている責任も違う。
それは夢を持てない理由ではなく、実現するとしたらどんな形が現実に合うのかを考える条件である。
年齢は夢の許可証ではない
資金も同じだ。過去の実績も同じである。
できるかどうかを確かめる前に、「こんな人生だったらいい」と思うところまで制限する必要はない。
夢は自由に描く。
経営では現実を見る。
この二つを同じ場所で処理しなければ、大人になってから夢を持つことと、現実的に経営することは十分に両立する。

大きな夢を描きながら資金や時間など現実の条件を冷静に考える経営者の決意

現実に合う形を考える時、もう一つ見落としやすいものがある。
それは、「できるかどうか」だけでは判断できないということだ。
長く続けてきた仕事なら、今からでも続けられるかもしれない。顧客もいる。売上も立つ。経験もある。新しく覚えることも少ない。数字だけを見れば、続ける理由はいくつも出てくる。
だが、できる仕事だからといって、これからもそこへ自分の時間を使いたいとは限らない。
毎週5日働ける身体があるとしても、本当に5日働きたいのか。
今の顧客とあと十年付き合えるとしても、同じ仕事をあと十年続けたいのか。
利益が出る商品であっても、自分の残りの時間をそこへ使いたいのか。
人生後半では、こうした問いが経営の中へ入ってくる。
若い頃には、できる仕事を増やすことが、そのまま可能性を広げることにもなった。経験を積む。顧客を増やす。売上を伸ばす。仕事を広げる。その先に、自由があると思えた時期もある。
しかし、時間が有限だと実感するようになると、増やすだけでは判断できなくなる。
できる仕事と、続けたい仕事は違う
ここを分けないと、能力があるという理由だけで仕事が残り続ける。昔から頼まれているから続ける。利益が出るから続ける。自分が一番うまくできるから続ける。
どれも経営上の理由にはなる。
それでも、その仕事のために使っている時間や気力まで含めれば、別の姿が見える。
仕事を続ければ、売上が残る。
同時に、その仕事へ使った時間は別のことには使えない。
好きな人と過ごす時間。
身体を休ませる時間。
新しいものを学ぶ時間。
自分の経験を残す時間。
何もしない時間。
経営では、得るものだけでなく、そのために使っている時間も現実である。
だから、続けることが正しいとも、減らすことが正しいとも言えない。
今の仕事を続けながら満足できる人もいる。仕事を減らすことで、ようやく自分の生活へ時間を使える人もいる。形を変えて残したい仕事もあれば、役割を終えた仕事もある。
判断を分けるのは、「大きな夢を持っているか」ではない。
自分がこれからどんな人生を望んでいるか。その人生と、今の仕事の使われ方が合っているかどうかである。
会社について考える時、経営者はどうしても「この会社をあと何年続けられるか」を考える。
資金は持つか。
顧客は残るか。
市場はどう変わるか。
身体は持つか。
どれも欠かせない。
ただ、もう一つあっていい。
この会社と、どんな人生を生きたいか
会社を十年続けられるとしても、その十年を今と同じように働きたいとは限らない。売上をさらに増やせるとしても、それが自分の望む未来とは限らない。
逆に、今の仕事をこれからも続けたいなら、それも立派な望みである。夢という言葉を、変化することだけに使う必要もない。
人生後半の経営では、会社だけを未来へ運べばよいわけではない。
会社が残る。
売上が残る。
顧客が残る。
それだけでなく、その仕事をしてきた経営者自身に、何が残るのか。
時間なのか。
自由なのか。
経験なのか。
信用なのか。
これからも続けたい仕事なのか。
夢は、その答えを先に決めるものではない。
自分がどんな未来を望んでいるのかを、まだ決めきれないまま考えてもいい。
年齢も、過去の実績も、今の会社の大きさも、実現方法を考える時には重要になる。だが、それらを理由に、望みそのものまで先に縮める必要はない。
何を望むかまで現実に決めさせない
会社をこれからどうするのか。
その問いを考える時、自分自身の未来を外へ置かないことである。
この会社と一緒に、どんな時間を生きたいのか。
何を残したいのか。
どんな毎日なら、自分は納得できるのか。
そこまで含めて経営を考えるなら、大きな夢は若い人だけのものではなくなる。

【関連記事】:

読者からのよくある質問とその答え

Q.夢がない大人はおかしいのでしょうか?
A.夢がないと感じても、それだけでおかしいとは言えない。会社や仕事の現実を優先する時間が長いほど、自分の望みを考える機会は減りやすい。何をしたいか答えられない時も、夢が消えたと決める前に、望みが浮かぶ前から現実性で却下していないかを見る余地がある。

Q.大人になると夢が小さくなるのはなぜでしょうか?
A.大人になるほど夢が小さくなりやすいのは、経験と責任が増えるからだ。資金、家族、顧客、過去の失敗まで先に考えるため、望みが形になる前に実現可能性の判断が始まる。長く経営して現実を知るほど、できない理由も具体的になり、それが夢の大きさまで決め始める。

Q.現実を見ることと夢を小さくすることは何が違うのでしょうか?
A.現実を見ることと、夢を小さくすることは同じではない。資金や身体、時間、家族への影響は、実行する方法や時期を考える材料になる。一方で、何を望むかまで同じ条件で制限すると、まだ方法も時期も決めていない段階で、夢そのものが経営判断の前に消えてしまう。

Q.人生後半の夢は何を基準に考えればよいのでしょうか?
A.人生後半の夢は、会社や売上の大きさだけで考える必要はない。仕事を減らす、好きな仕事を残す、自由な時間を増やす、経験を形に残すことも、自分の人生を大きく変える望みになりうる。できるかどうかだけでなく、これから何へ時間と気力を使いたいかも判断の材料になる。

▶ 「内なる願い」の記事一覧
関連する記事を読む
【仕事運を整える手がかり】:望みと現実の混ざり方
1.会社の予定ばかりが先になる
売上や顧客、来月の予定は考えていても、自分が数年後にどんな働き方をしたいのかは後へ回りやすい。会社の未来だけが具体的になり、自分の望む時間が言葉になっていないなら、その差には意味がある。
2.過去の結果が望みを狭める
以前うまくいかなかった仕事や、届かなかった目標は、その後の判断にも残る。新しい望みが浮かんだ時、資金や市場を確かめる前から「また無理だ」と結論づけているなら、過去の結果がまだ起きていない未来の基準になっている。
3.望みと実行条件は同じではない
仕事を減らしたい、好きな仕事を残したい、自由な時間を増やしたいという望みと、それをいつ、どんな形で実現できるかは別の問題である。資金、身体、家族、顧客は経営判断の条件になるが、何を望んでよいかまで決めるものではない。

『会社を守る現実が増えるほど、自分の望みまで小さくしやすい。人生後半の夢は、できることの範囲ではなく、残りの時間を何に使いたいかを考えるところから形を持ち始める。』

(内田 游雲)

▶ 【64卦から読む】:山地剥
この卦に関連する記事を読む

関連記事