自由が欲しければ覚悟が必要になる
自由というのは、耳障りのいい言葉だが、自由を選んだ結果、自由を決断した結果や行動した結果を、良い事も悪いことも、自分で引き受けることが求められる。それでも自由が欲しいなら、全ての結果を受け入れるという覚悟を決めることだ。自由や夢が手に入らないのは、あなたが組織や制度からの「保証」を求めているだけだからだ。自由を得る為にはこの恐怖に打ち勝つ必要があるのだ。(内田游雲)
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内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングやコーチングを専門に行っている。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は、運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解しスモールビジネスの経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)
自由には代償が必要になる
私は誰もが、自分の足で立って、好きな事、やりたい事を仕事にして、自由に生きて夢を実現して欲しいと思っている。
しかし、ここで勘違いしないで欲しいのが、自由は「保証」とは対極にあるということだ。自由というのは、耳障りのいい言葉だが、自由を選んだ結果、自由を決断した結果や行動した結果を、良い事も悪いことも、自分で引き受けることが求められる。
旧約聖書の出エジプト記では、エジプトで400年間奴隷だったイスラエル民族は、モ-ゼに導かれてエジプトを脱出し、念願の自由を手に入れる。映画でも出てくるように、紅海の水が左右に分かれ、そこを、何十万人もの人が渡る・・・。
なんとも感動的なクライマックスシーンだ。
しかし、その後、水や食べ物の不足という実際の問題に直面するや否や、多くの人が「ああ、エジプトに戻りたい」と不平をもらすのだ。
数百年かけてやっと手に入れた自由なのに、最低限の衣食住が保障された奴隷生活のほうが魅力的に感じるのだ。人間にとっては、自由よりも不自由のほうが楽である。何も考えなくていいし、何も心配しなくていい。
憂鬱な気分で雇われる人生
ただ、もし、あなたが、毎週月曜日の朝に憂鬱な気分になっているなら、仕事の仕方を考え直したほうがいいということだ。実際に、驚くほど多くの人が、憂鬱な気分や絶望感を感じながら、一週間をスタートさせている。それは、もちろん、家族の為や生活の為ということもあるだろう。
しかし、誰もが自分が望む最高の人生を創造できるというのに、せっかくの夢をあきらめてしまっている。これでは、何のための人生だろうか。
多くの人が、
「いつかはビジネスを始めようと思います」
「もっと人脈ができたらビジネスを始めようと思います」
こんなふうに、言い訳をし続けている。
多くの人が、夢をあきらめて憂鬱な気分で会社に雇われているのだ。あなたも、こうした言い訳をずっとし続けることもできるし、夢を実現することもできるのだ。
世間は簡単には銭くれぬ
「でも、生活費は稼がなければいけない!」
ほとんどの人がそう思うだろう。
むろん私もそう思っている。
なかなかに、世間は簡単に銭をくれやしない。だから、必死で稼がにゃならんのだ。これは、みんな同じである。しかし、ただ稼ぐだけでは、何も変わらない。生活の為だけに時間を使って、また、同じ1週間が始まる。
これでは、何のための人生だろう。
一番大事なのは、今、ここ、この場である。そこの気持ちを大事にして欲しい。
もちろん、今の生活の為に、目の前のやるべきことをしっかりやることが第一である。しかし、その視線の先にあなたの夢が無ければ、結局、後悔だらけの人生になってしまうだろう。
自由は夢を見つめ生きること
人生は、どの道を選んでも、かならず試練に直面する。
結局のところ、あなたが、どのような人生を選択したとしても、しなかったとしても、喜びと痛みは、同じだけ経験することになる。
これは間違いない。
それでも自由が欲しいなら、全ての結果を受け入れるという覚悟を決めることだ。自由や夢が手に入らないのは、あなたが組織や制度からの「保証」を求めているだけだからだ。そして、その保証すら、決して絶対的なものではない幻のようなものだ
雇われるのではなく、自分の足で立って収入を得ることは怖い事だ。
自由よりも不自由のほうが何も考えなくていいので楽に生きることができる。
しかし、それでも、自由を得る為にはこの恐怖に打ち勝つ必要がある。