流行歌が消えた時代
昔は、街に音楽が溢れていた。街を歩いていれば、流行りの曲が耳に飛び込んできたものだ。流行歌という言葉は、それでできていたのである。しかし今は、流行り歌が消えてしまった。それぞれが、自分の好きな曲、好きな歌を イヤホンで聞き、街を歩いている。自分の好きな世界に、ずーっといられるのは、確かにとても心地いいものだ。しかし、それが、反面 コミュニケーションの壁を 作り出してしまってもいるのである。(内田游雲)
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内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングやコーチングを専門に行っている。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は、運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解しスモールビジネスの経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)
流行歌という共通の話題
昔は、街に音楽が溢れていた。
私が若いころは・・・
ああ、また昔話になってしまう。
┐(-。ー;)┌ヤレヤレ
1980年代は、レコード屋がたくさん有って、その頃の流行り歌が街に流れ出していた。街を歩いていれば、流行りの曲が耳に飛び込んできたものだ。流行歌という言葉は、それでできたのだ。
しかし、今は、街から 流行り歌が消えてしまった。それぞれが、自分の好きな曲、好きな歌を イヤホンで聞き、街を歩いている。電車やバスの中でも同じように 自分の世界に閉じこもっている。
自分の好きな世界に、ずーっといられるのは、確かにとても心地いいものだ。しかし、それが、反面 コミュニケーションの壁を 作り出してしまっている。
コミュニケーションの壁
自分の世界、自分の趣味嗜好の中で、浸っていると、他人との接点が著しく 減ってしまうことになる。コミュニケーションとは、言い換えれば お互いの共通項を見出しながら、それぞれの世界をぶつけていくことだ。
しかし、個々が分離して
自分の嗜好の中だけの世界の言葉は、他の世界の人には通じない。だから、他の嗜好の人と話していると、外国人と話すみたいなものだ。
判り易いところでは、パソコンの用語を使って、全くパソコンを使えない人と話してみるとすぐその意味が判るだろう。アニメの話題でもいい
私たちが、いかに共通の言語の中だけに生きているかということだ。
人は会話をし関係をつくる
人間は、コミュニケーション無しに 生きては行けない動物だ。
しかし、今は、このコミュニケーションがなかなか取れなくなっている。だからSNSのような、 薄い繋がりですら貴重になってしまう現象をもたらしている。
今は、知らない誰とでも、すぐに繋がれて連絡が取れる。それで、コミュニケーションの代用をしようと思うのだが、それは結局は紛い物でしかない。
何百人も友達がいて、たくさん「いいね」をもらっても、多くの人が大きな孤独を抱えて膝を抱えてうずくまっているのが現代人の姿なのだ。
もう一度、コミュニケーションについて、しっかりと考えてみることだ。
こんな時代だからこそ、本当のコミュニケーションの重要性が高まっているし、そこに 大きな価値が生まれているのだから。