昔は街の中に音楽が溢れていた

流行歌が消えた時代

昔は、街に音楽が溢れていた。街を歩いていれば、流行りの曲が耳に飛び込んできたものだ。流行歌という言葉は、それでできていたのである。しかし今は、流行り歌が消えてしまった。それぞれが、自分の好きな曲、好きな歌を イヤホンで聞き、街を歩いている。自分の好きな世界に、ずーっといられるのは、確かにとても心地いいものだ。しかし、それが、反面 コミュニケーションの壁を 作り出してしまってもいるのである。(内田游雲)

流行歌という共通の話題があった

昔は、街に音楽が溢れていた。
私が若いころは・・・

ああ、また昔話になってしまう。
┐(-。ー;)┌ヤレヤレ

1980年代は、レコード屋がたくさん有って、その頃の流行り歌が街に流れ出していた。街を歩いていれば、流行りの曲が耳に飛び込んできたものだ。流行歌という言葉は、それでできていたのである。

しかし、今は、街から 流行り歌が消えてしまった。それぞれが、自分の好きな曲、好きな歌を イヤホンで聞き、街を歩いている。電車やバスの中でも同じように 自分の世界に閉じこもっている。

自分の好きな世界に、ずーっといられるのは、確かにとても心地いいものだ。しかし、それが、反面 コミュニケーションの壁を 作り出してしまってもいるのである。

コミュニケーションの壁

自分の世界、自分の趣味嗜好の中で、浸っていると、他人との接点が著しく 減ってしまうことになる。コミュニケーションとは、言い換えれば お互いの共通項を見出しながら、それぞれの世界をぶつけていくことだ。

しかし、個々が分離している 今の時代には、その共通項を 見つけることができなくなっているのだ。

自分の嗜好の中だけの世界の言葉は、他の世界の人には通じない。だから、他の嗜好の人と話していると、外国人と話すみたいなものだ。

判り易いところでは、パソコンの用語を使って、全くパソコンを使えない人と話してみるとすぐその意味が判るだろう。

私たちが、いかに共通の言語の中だけに生きているかということだ。

人間はコミュニケーションの動物

人間は、コミュニケーション無しに 生きては行けない動物だ。

しかし、今は、このコミュニケーションがなかなか取れなくなっている。だからSNSのような、 薄い繋がりですら貴重になってしまう現象をもたらしている気がするのだ。

今は、知らない誰とでも、すぐに繋がれて連絡が取れる。それで、コミュニケーションの代用をしようと思うのだが、それは結局は紛い物でしかない。

何百人も友達がいて、たくさん「いいね」をもらっても、多くの人が大きな孤独を抱えて膝を抱えてうずくまっているのが現代の姿なのだ。

もう一度、コミュニケーションについて、しっかりと考えてみることだ。こんな時代だからこそ、本当のコミュニケーションの重要性が高まっているし、そこに 大きな価値が生まれているのだから。

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