他人と競わないと成功が見えやすくなる

思考のクセ

【運を開く言葉】

書:瑞雪 文:游雲

他人が成果を出したと聞くと、祝うより先に胸がざわつくことがある。相手が前へ進んだだけなのに、自分だけ取り残されたように感じる。気づけば、自分がどこへ行きたかったのかより、誰が先にいるのかばかり見ている。その競争は、本当に自分の成功へ続いているのだろうか。

誰かが先へ進むたび
胸の奥がざわついて
自分の足まで速くなる

追いつこうとするほど
行き先はぼやけていく

ほんとうに見たかったのは
誰かの背中ではなく
自分の向かう先だ

競うことをやめたとき
ようやく見えてくるものが
そこに残っている

成功を「誰かより上に行くこと」と考えると、他人の成果はそのまま自分の負けに見えてくる。相手が先へ進むほど焦り、自分ももっと速く進まなければならないと感じる。けれど、本来の成功は順位では決まらない。自分が望んでいた場所へ近づいているかどうかで決まる。
そう考えると、他人は倒す相手ではなくなる。自分より先を歩いている人の経験や考え方から、学べるものも見えてくる。誰かが成功したからといって、自分の目標が遠ざかるわけではない。競争そのものが悪いのではない。問題は、成功するには競争に勝たなければならないと思い込むことにある。
他人の順位ばかり見ていると、自分が何を目指していたのかまで見えなくなる。競うことから少し離れると、自分にとっての成功が初めて輪郭を持ちはじめる。

他人と競わないほど成功が見える

他人の成功を聞いた瞬間、なぜか自分の成績表を見せられたような気分になる。相手が結果を出した。先へ進んだ。それだけの話なのに、胸の中では勝手に順位表がつくられ、自分の位置まで下げられてしまう。成功とは、自分が決めた目標へどれだけ近づいたかを見るものであって、他人との順位表ではない。ところが比較を基準にすると、相手の出来事がそのまま自分の評価へ入り込んでくる。
ここで厄介なのは、競争を意識するほど相手から学べなくなることだ。うまくいった人を見ても、何を考え、何をしてきたのかを見る前に、「負けた」「悔しい」が立つ。相手の成果を喜べなければ、その人が持っている経験や知恵まで見えにくくなる。本来なら参考にできる相手を、自分で敵の席へ座らせているのである。
成功を順位表に変えた瞬間、人間関係まで勝ち負けで見えるようになる。誰かが得れば、自分の取り分が減る。誰かが前へ出れば、自分が後ろへ下がる。そんな見方を続ければ、周囲は味方より競争相手のほうが多くなる。成功するために敵を増やしているのだから、なんとも割の悪い競争である。
しかも、他人と比べ続けると目標そのものが変わっていく。最初は自分なりに望んでいたものがあったはずなのに、いつの間にか「誰より上か」「誰より早いか」が基準になる。欲しかったものを手に入れることより、誰かに勝つことのほうが重要になる。そこで勝てたとしても、自分が行きたかった場所へ着いたとは限らない。
他人と競わないというのは、努力をやめることではない。比べる相手を外し、自分が何を目指しているのかを見失わないことである。誰かが先へ進んでも、自分の目標まで奪われるわけではない。むしろ相手を敵から外せば、「どうやってそこまで行ったのか」が見えてくる。そこには学べることがあり、場合によっては後押しを受ける関係も生まれる。
他人の成功に焦るほど、自分の成功はぼやける。見る相手を間違えているからだ。誰かに勝ったかではなく、自分が望んでいた場所へ近づいているか。競争から一歩外れたところで、ようやくその違いが見えてくる。
【卦象ミニコラム】
競争相手から仲間へ
卦象:天火同人|競争より共に進む関係
変化|順位を見る目から関係を見る目へ
同人は、人と同じになることを求める卦ではない。違いを持ったまま、同じ場で力を生かし合う局面を見る。他人の成功を順位として見れば、その人は脅威になる。だが、自分の目標がはっきりしていれば、同じ相手から経験や知恵を受け取れる。相手そのものが変わったのではない。競争相手として見るか、学び合える相手として見るかで、関係から受け取れるものが変わる。同人が照らすのは、誰と勝負するかより、誰と何を共有するかという違いである。
【開運への手がかり】
誰に勝ちたいのかではなく、どこへ行きたいのか
他人の成功に心がざわついたとき、その人に負けたことと、自分の目標から遠ざかったことを同じにしていないか確かめる。相手が先へ進んでも、自分の行き先まで変わったわけではない。

(内田 游雲)

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