続けることが美徳とは限らない|途中でやめる勇気

思考のクセ

【運を開く言葉】

書:瑞雪 文:游雲

一度始めたことを途中でやめると、それまでの時間まで無駄になるように感じる。周囲に「続かなかった」と思われるのも気になる。だから、もう違和感があるのに「ここまでやったのだから」と続けてしまう。続けている理由が、いつの間にか「やめるのが怖いから」に変わっていることがある。

手を離そうとすると
胸の奥がざわつく

ここまで来たのに
これでいいのかと思う

終わらせたくないのか
終わらせるのが怖いのか

その違いさえ
見えなくなるほど

長く握ったものほど
手は離れにくい

始めるときには、決断した自分を信じればいい。けれど途中で止めるときには、その決断をいったん自分で覆さなければならない。だから、続けるより止めるほうが重く感じられる。
とくに、長く続けたことほど簡単には手を離せない。費やした時間も、自分で選んだという思いも残っている。途中で止めれば、それまでの自分まで否定するように感じることもある。
けれど、始めたときの判断と、今の判断は別のものである。状況が変わっているなら、続けることだけを正しさにしなくていい。
止めるという選択には、これまでの自分を認めたうえで、今の現実を見直す強さがいる。

続ける美徳が自分を縛っていく

途中でやめることが難しいのは、続ける理由より、やめない理由のほうが増えていくからである。長く続けた時間、周囲の期待、自分で決めたという責任感。そうしたものが重なると、「今も続けたいか」より「ここでやめていいのか」のほうが大きくなる。
続けることが自分の意思ではなく、過去への義理に変わったとき、判断は鈍りやすい。
子どもの頃から、途中で投げ出さないこと、最後までやり抜くことは立派だと教えられてきた。確かに、すぐに諦めてしまえば何も積み上がらない。苦しい時期を越えた先で、ようやく形になることもある。だからこそ、「続けることは美徳」という考えは強い。
問題は、その美徳が状況の変化まで無視し始めることである。始めたときには意味があったことでも、時間が経てば事情は変わる。自分の気持ちも、周囲との関係も変わる。それでも「一度決めたから」という理由だけで続ければ、今の現実より昔の判断を優先することになる。
違和感を抱えながら続け、疲れが増え、ほかのことへ使う時間まで失っているのに、それでも続けることだけを立派だと考えるなら、少し妙な話である。
しかも、長く続けたものほど止めにくい。「ここまでやったのだから」という思いが働くからだ。費やした年月を無駄にしたくない。周囲に失敗と思われたくない。自分の選択が間違っていたと認めるようで怖い。こうして、続ける理由ではなく、やめることへの恐れが継続を支え始める。
ここに一つの矛盾がある。本来、責任感は自分の選択を支えるためのものだったはずなのに、それが「変えてはいけない」という縛りに変わる。真面目であるほど、この縛りは強くなる。途中でやめることを考えただけで、自分が無責任になったように感じるからだ。
けれど、状況が変わっても昔の決断だけを守ることが、いつも責任とは限らない。
仕事でも同じことは起きる。長く続けた仕事や役割ほど、「ここまでやってきた」という事実が強く働く。そのため、今も続ける意味があるかより、やめたときに何を失うかばかりを見るようになる。
長く続けた年月には価値がある。しかし、その年月は、これからも続けなければならない契約ではない。
途中でやめるかどうかを考えるとき、見るべきなのは「続かなかったと思われるか」ではなく、今も自分はこれを続ける意味を感じているかである。
続けることも一つの選択であり、止めることも一つの選択である。昔決めたことを守るためだけに今日を使っているなら、その継続は一度違って見えてくる。
【卦象ミニコラム】
退く局面を見誤らない
卦象:天山遯|距離を取るべき時を見る
変化|続ける理由より退く理由が重くなる
天山遯は、力で押し続けるより、距離を取る局面を示す卦である。ここで見るのは、退くことの善悪ではない。続けることで負担が増え、違和感が強まり、それでも過去の決断だけが継続を支えているなら、同じ場所に居続ける意味は薄くなる。退くことを敗北と決めつけると、状況が変わった事実を見失う。何を守るために続け、何を失い始めているのか。その食い違いが見えた時、判断の基準も変わる。
【開運への手がかり】
続けたいのか やめるのが怖いのか
今続けていることを、「まだ続けたいから続けている」のか、「やめるのが怖いから続けている」のかで見てみる。この二つは似ているようで、判断の中身は大きく違う。

(内田 游雲)

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