年商数億円でも人生は満たされなかった|氣の経営にたどり着いた理由

基本編
売上は増えた。会社も大きくなった。人から見れば成功している。それなのに、通帳には思ったほど残らず、休日は減り、家族との時間まで仕事に食われていく。会社を成長させれば人生も良くなるという話は、どこかで勘定が合わなくなる。経営者だけが時間と身体を差し出し続けるなら、その成功は誰のためのものなのか。
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会社の売上が伸びても、経営者の人生に利益や時間が残るとは限らない。固定費と責任を増やせば本人の負担は重くなり、市場や人口など努力では動かせない条件にも左右される。経営は規模ではなく、仕事から自分の人生に何が残るかまで含めて判断する。

年商数億円でも人生は満たされない

年商数億円、自社ビル、賃貸不動産。外から成功に見える条件は揃っていたが、その陰で家族との時間と自分の自由は確実に減っていた。

会社が大きくなり、扱う金額も肩書も増えていけば、人生もその分だけ良くなる。そう信じて働いてきた。ところが、外から見える成功が増えるほど、家族との時間や自分の自由まで増えたわけではない。成功の数字と、生きた実感は同じ勘定では動かなかった。

私は最初から、小さな会社のままでいいと考えていたわけではない。むしろ逆だった。売上は多いほうがいい。店は増えたほうがいい。会社は大きいほうが立派に見える。若い頃の私は、そういう世間の物差しをかなり素直に信じていた
大学を卒業する頃、本来なら東京の建築設計事務所へ就職する予定だった。ところが、実家の焼肉店が経営不振に陥り、家業を継ぐことになった。そこで韓国宮廷料理の専門店へ転換し、東京まで料理を習いに通った。雑誌にも取り上げられ、やがて毎日行列ができる店になった。さらに不振だった喫茶店を買い取り、最終的には3店舗を経営するようになった。
店が一つより三つになれば、三倍立派になったような気がする。売上が増えれば、経営者として一段上へ行った気にもなる。世間もそういう会社を評価する。小さかった会社が大きくなる。店舗が増える。社員が増える。売上が増える。そこには「成長」という、たいへん都合のいい名前まで付いている。
この価値観は強い。学校では順位を競い、会社では売上を競い、経営者になれば規模を競う。昨日より今日、今年より来年。増えていれば前進で、減れば後退。そんな物差しに囲まれていれば、会社を大きくしようと考えるのはむしろ自然だった。私も、その競争から降りようなどとは考えなかった。
飲食業を離れた後は不動産業へ移り、仲介だけでなく住宅地の開発まで手を広げた。自社ビルを持ち、賃貸不動産も数棟所有した。会社の年商は数億円になり、数億円単位の資金を動かす仕事をしていた。青年会議所や商工会議所でも役職を務めた。外から見れば、それなりに成功した経営者に見えていたはずである。
実際、当時の私自身もそう思っていた。もっと売上を伸ばす。もっと会社を大きくする。その先に、何か完成形のようなものがある気がしていた。
しかし、会社というものは不思議な器である。大きくなればなるほど、経営者まで一緒に豊かになるように見える。ところが現実には、会社に増えたものと本人に残るものは、まったく別の勘定で動いている。
年商数億円、自社ビル、賃貸不動産。世間が成功と呼びたがる材料は揃っていた。それでも後から振り返ると、胸を張って「欲しかった人生を手に入れた」とは言えない。
ここには、かなり意地の悪い仕掛けがある。売上や店舗数や肩書は、人から見える。だから褒められる。経営者本人がどれだけ疲れているか、家族と何時間過ごせたか、自分のために自由に使える時間がどれだけ残ったかは、誰も表彰してくれない。銀行口座も、社長の見栄に拍手などしてくれない
会社を大きくした事実と、自分の人生が豊かになった事実は別物だった。この違いに気づくまで、私はずいぶん長い時間を使ってしまった。

会社の成功と人生の豊かさを見比べる

当時の私は、ほとんど休まなかった。仕事が終われば付き合いがあり、地域の集まりや役職もある。会社を経営している以上、それも仕事の一部だと思っていた。忙しいということは、それだけ求められている証拠でもあったし、経営者として順調に前へ進んでいる証拠のようにも感じていた。
ところが、後になって振り返ると、その「順調」の勘定がずいぶん乱暴だったことに気づく。30代から50代は、仕事をするにはかなり力のある時期である。身体もまだ動く。新しいこともできる。家族と出かけることもできる。その時間を、私はかなり会社へ差し出した。
売上をつくる。人と会う。付き合いを断らない。問題が起きれば自分が出る。経営者なのだから当然だと思っていた。
当然という言葉は便利である。誰も責任を取らなくて済む。「社長なんだから忙しくて当たり前だ」「会社を大きくするなら多少の犠牲は仕方がない」「今頑張れば、そのうち楽になる」こういう言葉は、いかにも立派に聞こえる。問題は、その「そのうち」がいつ来るのかである。
会社は放っておけば、経営者の人生が終わるまで仕事を供給してくれる。実に勤勉な装置だ。
私の場合、気づけば家族との時間をかなり失っていた。別に家族を大切に思っていなかったわけではない。仕事を優先することが家族のためでもあると思っていた。それが経営者としての責任だとも思っていた。
だが、失った時間は後から買い戻せない。売上なら来年またつくれる。不動産なら売買できる。会社なら形を変えることもできる。しかし、40歳の一年を60歳になってから取り戻すことはできない。そこだけは、どれだけ金を積んでも戻ってこない。
そして、お金についても妙な現実があった。不動産のデベロッパーをしていた頃は、普通に数億円単位の金を動かしていた。年商も数億円あった。数字だけ見れば、かなり派手である。
ところが、その数億円が私の財布へ入ってくるわけではない。社員の給料を払う。銀行へ返済する。事業に必要な支払いをする。次の仕事へ金を回す。税金もある。金は威勢よく会社の中を通過していくのに、最後に自分のところへ来ると急におとなしくなる。
「これだけ売ったのに、これだけか」何度そう思ったか分からない。
ここにも、会社経営の厄介な錯覚がある。年商1億円の社長と聞けば、ずいぶん儲かっているように見える。年商3億円なら、もっと金持ちに見える。しかし、売上は会社を通過した金額であって、経営者が手にした金額ではない。売上という数字は派手なので、人の目をよく欺く
会社は大きくなった。扱う金額も増えた。責任も増えた。仕事量も増えた。では、私に何が残ったのか。
この問いを持たないまま売上だけを追えば、経営者は会社を太らせるために自分の時間と身体を餌として差し出し続けることになる。しかも世間は、それを「頑張っている社長」と褒めてくれる。なんともよくできた仕組みである。
私は、会社を大きくすることに失敗したから、この経営観へ変わったのではない。むしろ一度、世間が成功と呼ぶ場所まで行ってしまったから分かった。
売上も会社も大きくなった。それでも、自分の人生に残るものまで大きくなるわけではなかったのだ。

努力では市場の流れを止められない

繁盛店をつくっても地上げは止められず、独自の工夫で立て直しても人口減少までは変えられない。経営には努力の外側にある現実がある。

商売が苦しくなれば、もっと工夫し、もっと働けばいい。経営者はそう考えやすい。しかし、土地の値段も人口も取引先の倒産も、こちらの根性には従わない。自分の努力で動く現実と、どれだけ働いても動かない現実を一緒にすると、最後に消耗するのは本人である。

店を立て直した経験があると、「経営は工夫と努力で何とかなる」と思いたくなる。私もそうだった。実家の焼肉店は、そのままでは先が見えなくなっていた。そこで韓国宮廷料理の専門店へ変え、東京まで料理を習いに通い、雑誌にも取り上げられた。やがて毎日行列ができるところまで持ち直した。
商品を変えた。料理を磨いた。客が来る理由をつくった。その結果、売上は回復した。ここまでは、自分たちの判断と仕事によって変えられた世界である。
ところが、店が軌道に乗った頃、大家が土地を売ることになった。バブル期の地上げである。借りていた土地を買い取ろうとしたが、提示されたのは当時の時価の約2倍だった。1.5倍くらいまでなら無理をする覚悟もあった。それでも2倍となれば話が変わる。別の場所で新しく店を構えるにも、バブルで不動産価格は高騰していた。喫茶店の家賃も上がり、採算は悪化していた。
行列ができていても関係ない。料理が美味くても関係ない。常連客がいても、土地の所有者が売ると決め、周辺の不動産価格が跳ね上がれば、借りて商売をしている側にできることは限られる。繁盛店をつくる力と、その場所で商売を続けられる力は別だった
経営の世界では、こういうことが平然と起きる。本人は必死で商品を磨き、客を増やし、店を立て直している。その努力とは別の場所で土地価格が動き、契約条件が変わり、昨日まで成立していた商売が突然合わなくなる。それでも経営者には、「もっと工夫できなかったのか」と結果だけが返ってくる。市場も土地も金融も好き勝手に動いておきながら、最後の帳尻だけ経営者の自己責任にされる
もちろん、撤退するか、無理して買うか、移転するかは自分の判断である。だから責任がないとは言わない。だが、何が自分の判断で、何が自分では動かせない条件なのかを分けなければ、現実を読み違える。
私は結局、飲食店を全部閉めた。この経験だけなら、「世の中は運次第だ」と考えて終わっていたかもしれない。ところが、その後に始めた不動産業では、まったく逆の経験をすることになる。
不動産業を始めたものの、私は業界経験がなかった。宅建の資格は持っていたが、資格証が客を連れてきてくれるほど世の中は親切ではない。仕事はほとんど来なかった。約1年半、売上らしい売上がなく、赤字は約2,000万円まで膨らんだ。
毎日考えたのは、「どうすればお客が来るか」だった。ある時、売る側ではなく、買う側の不便を考えた。不動産を探す客は、何軒もの不動産会社へ電話をし、そのたびに売り込みを受けながら物件を比べていた。それなら、地域の売り物件をできるだけ一か所へ集め、希望条件から探せるようにすればいい。
暇だけは十分にあったので、パソコンで自前のデータベースを作った。当時はMS-DOSで、使ったソフトは「桐」である。入ってくる物件情報を片端から登録し、冊子にして銀行や知人へ送った。
送って2日ほどして、それまでほとんど鳴らなかった電話が鳴った。また鳴った。そこから少しずつ仕事が動き始めた。
地上げの時には、どれほど頑張っても土地の値段を下げることはできなかった。不動産業では、客の不便を見つけて仕組みを変えたら結果が動いた。努力が効く場所は確かにある。だが、努力ならどこに注いでも報われるわけではない
この違いを知らずに頑張り続けると、人は変えられないものへ時間も金も気力も突っ込み始める。努力そのものより、どこへ努力を使うかのほうが、経営でははるかに重い。

経営努力と動かせない環境を見極める

不動産業が軌道に乗ると、しばらくはデータベースが強い武器になった。銀行の融資担当から問い合わせが来るようになり、物件査定の資料として使われ、裁判所から実売価格の査定を頼まれる仕事まで入ってきた。何も分からず始めた不動産屋が、自分なりの方法で市場の中に居場所をつくったのである。
ところが、その頃から別の変化が見え始めた。売りに出る物件に対して、買いたい人の数が減ってきたのだ。個々の物件をどう売るかという話なら、広告や営業で工夫できる。説明の仕方も変えられる。価格の相談もできる。だが、地域そのものから買い手が減っていけば話は違う。いくら営業マンが走り回っても、その地域に住もうとする人間まで営業努力で増やすことはできない
ここで初めて、商売には「自分の会社を良くする」だけでは越えられない壁があることが、かなりはっきり見えた。経営者は、自分の会社の中だけを見ていると錯覚する。売れないなら営業を増やす。利益が落ちれば商品を足す。客が減れば広告を増やす。何でも自分の会社の中に原因を探し、さらに仕事を増やして解決しようとする。
だが、市場そのものが縮んでいる時に営業量だけを増やせば、売上より先に経営者が疲弊する。努力する方向を間違えると、勤勉さは美徳ではなく消耗装置になる
そんな時期に、私は最後のつもりで住宅地の開発を手がけていた。建築デザイナーが設計したモデルハウスを建て、十数戸の分譲地を販売する計画だった。計画時には、近くに町工場はあったものの、騒音もなく、住環境に問題はなかった。モデルハウスが完成し、見学会も好調だった。
その直後、近くの工場が不況によって複数の工場を一か所へ集約し、そこで塗装作業まで始めた。周辺にシンナーのような臭いが漂うようになり、契約していた物件からキャンセルが出始めた。こちらが何か手を抜いたわけではない。計画時には存在しなかった条件が、販売を始めた後から加わった。
そこで利益を削ってでも販売を急ぎ、傷を浅くしようとした。その最中に、共同で事業を進めていた会社が突然倒産した。もう計画もへったくれもない。売れる価格で売るしかない。叩き売りである。バナナじゃない。不動産だ
数千万円の商品を抱えた事業でも、現実が崩れる時はこんなものである。昨日まで成立していた資金計画も販売計画も、近隣企業と共同事業者という自社の外側が変われば、一気に意味を失う。その後は銀行からの融資も難しくなり、私はデベロッパー事業から手を引いた。
ここまで来ると、「経営は努力で決まる」とは、とても言えなくなった。かといって、運任せでもない。不動産データベースをつくった時のように、自分の判断で変えられる現実も確かにある。経営とは、自分の力が届く範囲と、届かない範囲が重なった場所で行う仕事だった。
景気がある。人口がある。土地がある。取引先がいる。銀行がいる。その中に自社の商品や資金や仕組みがあり、最後に経営者自身の判断がある。どれか一つだけを見ても、現実は読めない。
私は長い間、占術や易を学んできたが、「氣の経営」という考えが形になっていった背景には、この現実の商売経験があった。氣とは、目に見えない何かで未来を当てるための言葉ではない。少なくとも経営では、いま何が動き、何が変わり、自分の力をどこへ使えるのかを見るための言葉として捉えるようになった。
世の中は、こちらの努力に合わせて動いてはくれない。その冷たさを知らずに会社の中だけで頑張り続ければ、外で起きている変化の代金を、最後は経営者自身の時間とお金と身体で払うことになる。
【卦象ミニコラム】
会社が重くなりすぎる時
卦象:沢風大過|支える力を超えた重さ
変化|会社の成長が本人の負担へ変わる時
沢風大過には、棟木が重みに耐えきれず、たわむ姿がある。会社も同じで、売上、人員、固定費、借入、責任を増やし続ければ、それを支える経営者の時間や身体へ重さが集まる。数字が伸びている間は成長に見えても、支える側が限界へ近づけば、器そのものとの釣り合いが崩れている。何をさらに増やすかより、いまの重さを誰が背負っているのか。その一点が見えなくなると、会社を守るために本人の人生が削られていく。

売上の陰で経営者の人生が削られる

売上が増えるほど仕事も責任も固定費も増え、通帳と休日には思ったほど何も残らない。会社の黒字が、社長の人生まで黒字にするとは限らない。

売上が伸びれば会社は順調に見える。その陰で、電話は増え、判断は増え、固定費も責任も増えていく。夜まで働き、休日まで会社に取られても、その代価は決算書には載らない。数字が良くなるほど本人の自由が減るなら、その成長には別の請求書が付いている。

地上げや共同事業会社の倒産のような出来事は、そう何度も起きるものではない。だが、経営者の人生が削られていく仕組みは、もっと地味な姿で毎日の仕事の中に入り込んでいる。
売上を増やそうとする。注文が増える。顧客が増える。問い合わせが増える。扱う商品や案件も増える。最初は順調に見える。前年より売上が伸びれば、経営者として悪い気はしない。
ところが、仕事は売上だけを連れてくるわけではない。顧客が増えれば返信も増える。案件が増えれば判断も増える。人を雇えば給与だけでなく、教育、確認、相談、トラブル対応が増える。店舗や事務所を広げれば、家賃や設備費が毎月出ていく。広告を増やせば、その広告費を回収するために、また売らなければならない。
売上を増やすために会社を大きくし、大きくした会社を維持するために、さらに売上が必要になる
ここが厄介である。昨日まで月商500万円で回っていた会社が、人を増やし、事務所を広げ、借入をして設備を入れれば、同じ500万円では回らなくなる。700万円、800万円と売らなければいけない。すると営業を増やし、商品を増やし、もっと客を集める。気づけば、会社を豊かにするために売っているのか、増やした固定費を養うために売っているのか分からなくなる。
経営の世界では、これを成長と呼ぶことがある。ずいぶん景気のいい言葉である。数字が増えている限り、外からは前進しているように見える。しかし、経営者の仕事量まで同じ勢いで増えているなら、その成長には確かな値段が付いている。
そして、売上と経営者に残るお金も同じではない。会社へ1億円入ってきたからといって、社長が1億円儲けたわけではない。当たり前の話なのに、売上という数字には人を錯覚させる力がある。
そこから仕入れを払う。給与を払う。家賃を払う。広告費を払う。設備費を払う。借入の返済もある。さらに事業を続けるための資金も会社へ残す。最後に通帳を見て、「これだけ働いて、これだけ売って、残ったのはこれか」となる。
私自身、数億円単位のお金を動かしていた時期に、この感覚を何度も味わった。売上の数字は派手だった。動く金額も大きかった。しかし、その数字と自分の生活や将来に残るお金は、別のものだった。
売上高は会社を通過した金額であって、経営者の人生に残った金額ではない
この違いを曖昧にしたまま規模を追うと、妙なことが起きる。会社は前年より大きくなった。顧客も増えた。社員も増えた。それなのに経営者は、去年より忙しく、去年より責任が重く、簡単には休めなくなっている。
しかも固定費が増えれば、「少し仕事を減らそう」と思っても簡単には減らせない。社員の給料は待ってくれない。家賃も待たない。返済日もこちらの疲労には興味がない。経営者が風邪をひいても、請求書はいたわってくれない。
会社という器を大きくするほど、それを維持するために必要な売上の最低ラインも上がっていく。すると、以前なら断れた利益の薄い仕事まで受ける。少し相性の悪い顧客でも手放しにくくなる。休みたい月でも売上を落とせない。
自由になるために始めた商売が、売上を止められない商売へ変わる
これは経営者の意志が弱いから起きるのではない。増やした固定費と責任が、次の売上を要求する構造になっている。
だから、売上が伸びているという数字だけを見て「順調だ」と判断すると危うい。その売上をつくるために、どれだけ仕事を増やし、どれだけ金を先に出し、どれだけ自分が会社から離れにくくなったのか。そこまで含めて見なければ、成長という言葉の裏側で何を払っているのかは見えてこない。

売上の成長と経営者の負担を見比べる

売上や利益の数字だけを見ていると、経営者自身が何を支払っているのかが抜け落ちる。夜になってもメールへ返信する。休日にも電話が鳴る。家族と食事をしていても、頭の中では翌日の資金繰りや顧客対応を考えている。予定表を開くだけで、もう疲れる。
それでも会社の数字が悪くなければ、「順調ですね」と言われる。この言葉ほど、経営者の現実を雑に片づけるものも少ない。
決算書には売上が載る。利益も載る。借入も載る。現金も載る。だが、昨年何日休めたかは載らない。何回、家族との予定を仕事で潰したかも載らない。眠れない夜が何日あったかも、身体がどれだけ消耗したかも数字には出ない。
会社は黒字でも、経営者の時間まで黒字とは限らない
私自身、振り返ればそうだった。会社は大きくなった。取引金額も増えた。人から見れば忙しく働き、社会的にもそれなりの場所にいた。しかし、その間に使った時間は戻ってこない。
売上が足りなければ来月またつくれる。利益が落ちれば改善もできる。だが、40歳の夏を60歳になってから買い戻すことはできない。
ここだけは、資本主義もずいぶんと正直に結果を見せる。金で買えるものはいくらでも売っているのに、使い切った時間だけはどこにも売っていない
にもかかわらず、経営の世界では時間がずいぶん安く扱われる。「社長なんだから仕方がない」「今が踏ん張りどころだ」「会社のためだから」そんな言葉で、本人の休日も睡眠も家族との時間も、簡単に会社へ差し出される。しかも、それを自己犠牲ではなく責任感として褒める。なんとも都合のいい道徳だ。
会社には金を残す。設備を買う。人を雇う。広告を出す。顧客には時間を使う。従業員には給料を払う。銀行には返済する。その最後に残ったものから、経営者自身の生活と将来を考える。
よく考えれば、順番が逆である。事業は、本来その人の生活と人生を支えるための器だったはずだ。それなのに、器を守るために本人が削られ続ける。
会社には売上がある。信用もある。顧客もいる。設備もある。それでも経営者本人には、自由に使える時間がなく、将来へ回すお金もなく、身体も疲れている。それを「経営は順調だ」と呼ぶなら、ずいぶん奇妙な成功である。
会社だけ太って、社長が痩せていく
これは単なる比喩ではない。会社のために再投資を続け、本人の受け取りを後へ回し、空いた時間まで仕事へ使えば、実際にそうなる。
しかも小さな会社ほど、最後の負担は経営者本人へ集まりやすい。誰かが休めば自分が出る。売上が足りなければ自分が営業する。問題が起きれば自分が謝る。金が足りなければ、自分の取り分を削る。
会社は経営者の責任感を、実によく食べる。そして経営者も、それを長い間「仕方がない」と飲み込んでしまう。
だが、何十年も働いたあとに残ったものが、会社の売上記録と疲労だけでは困る。
経営した結果として、本人の人生に何が残ったのか
この勘定を入れなければ、会社の数字だけで経営を評価する物差しそのものが間違っているのだ。

売上より人生に残るものを増やす

会社に何を増やしたかではなく、自分の人生に何を残せたかで経営を見る。その物差しへ変わったところから、私の「氣の経営」は始まった。

何十年も経営してきた人にとって、まだ売上を増やせるかだけが判断材料ではない。その仕事を続けた先に、利益、信用、資産、時間、自由の何が残るのか。会社を守るために人生を使い切る物差しから降りなければ、最後まで会社だけが豊かになる。

会社の数字だけで経営を見れば、売上を増やすことが正解になりやすい。だが、自分の時間や身体まで勘定に入れた瞬間、その正解は簡単に崩れる。
私が長い商売の中で何度も思い知らされたのは、自分の力で動かせるものには限界があるということだった。料理は変えられた。店の見せ方も変えられた。不動産の情報提供も変えられた。客が困っていることを見つけて、データベースという仕組みをつくることもできた。
しかし、地上げは止められなかった。土地の価格を自分の都合で下げることもできなかった。地域の人口減少も、近隣工場の操業変更も、共同事業会社の倒産も、自分の努力で消すことはできなかった。
経営者は責任を負う立場なので、何か起きると全部自分で何とかしようとする。売れなければ営業を増やす。利益が落ちれば働く時間を増やす。客が減れば広告を増やす。資金が苦しくなれば、自分の給料を削る。やることを増やせば、何かをしている安心感は得られる。
だが、相手が人口減少なら、社長が睡眠時間を削ったところで人口は増えない。市場そのものが縮んでいるのに営業量だけを増やせば、先に減るのは経営者の体力である。動かないものを動かそうとして、自分のほうが壊れていく
私は長い間、易や占術を学んできた。14歳頃から始め、四柱推命や奇門遁甲、断易、中国の古典までかなり深く入り込んだ時期もある。宗教やニューエイジ的な世界へ興味を持ったこともあった。それでも、現在の「氣の経営」を、未来を占って当てる技術とは考えていない。
商売をしていると、未来など当たらなくても変化は目の前へ出てくる。客の反応が変わる。問い合わせの内容が変わる。売れる商品が変わる。銀行の態度が変わる。街から人が減る。原価が上がる。以前なら成立した条件で利益が出なくなる。
問題は、その変化を見ながら、過去と同じやり方を守り続けることである。昨日まで正しかった方法には、今日も正しいという保証書など付いていない
私は、こうした変化を見ることを「氣を読む」と考えるようになった。不可思議な気配を感じ取る話ではない。いま何が変わり、自分はどの条件の中で商売をしているのかを読む。景気、市場、顧客、地域、競争、制度、自社の資金、仕事量、そして自分の身体まで含めて見る。
世界は、こちらの希望など気にしない。「これだけ頑張ったのだから、そろそろ報われてもいいだろう」と思っても、市場は情状酌量してくれない。銀行も努力賞では融資しない。お客も社長の苦労を理由に商品を買うわけではない。
冷たい話だが、ここをごまかすほうが残酷である。努力すれば必ず報われるという話を信じて、動かせないものへさらに時間と金を注ぎ込めば、最後に失うのは本人である。
だから私は、変えられないものへ根性で逆らうより、自分の力が届く場所を探すようになった。不動産業で仕事がなかった時、景気そのものを変えることはできなかった。そこで、客が物件を探す不便を変えた。情報を集め、検索できる形にして、銀行や知人へ届けた。そこは自分で動かせた。
飲食店から不動産へ移った。開発事業からも降りた。その後は、大きな設備や土地を抱えなくてもできるコンサルティングへ仕事の形を変えた。
一つの商売を何が何でも守り抜くことだけが経営なら、私は何度も失敗していることになる。しかし、役割を終えた事業から離れ、自分が持っている経験や知識を別の形へ移すことまで経営に含めれば、見え方は違う。
経営は、今ある形を守る仕事ではない。条件が変わった時に、自分が使えるものをどこへ配分するかを決める仕事である。
この考えにたどり着くまで、ずいぶん高い授業料を払った。お金だけではない。時間も、気力も、失った仕事も含まれている。だからこそ、動かせないものまで自分の責任だと思い込み、さらに頑張ることを美徳にはしたくない。
頑張るなら、動く場所へ力を使う。それが、私にとって「氣の経営」の出発点になったのだ。

仕事から人生に残る価値を選ぶ

「氣の経営」の出発点が、変化を読み、自分の力が届く場所へ力を使うことだとすれば、その先にはもう一つの問いが残る。その仕事を続けた結果、自分には何が残るのか。
若い頃の私は、売上が増えれば前へ進んでいると思っていた。会社が大きくなれば、その分だけ何かを積み上げているつもりだった。しかし、実際には売上の多くが会社を通過していき、仕事に使った時間は戻らなかった。
だから今は、今年いくら売ったかだけでは経営を見ない。利益が残ったか。自分が受け取るお金は残ったか。顧客との関係は残ったか。仕事を通して得た経験や知識は、次にも使える形になったか。自分が動き続けなくても価値を生む商品や文章や仕組みは残ったか。そして、自由に使える時間は残ったか。
仕事から生まれた価値を、その場で全部使い切ってしまえば、何十年働いても人生には蓄積されない
ここには、売上至上主義のかなり残酷な部分がある。毎年売上をゼロからつくり直し、そのためにまた一年働き、年末になれば「今年も何とか終わった」と胸をなで下ろす。そして翌年になれば、またゼロから走り始める。
これを何十年続けても、走る力がある間は問題が見えにくい。だが、身体は永久機関ではない。60歳になっても70歳になっても、30代と同じ勢いで働けることを前提にした経営は、本人の身体へ将来の請求書を送り続けているだけである。
人生後半になると、「まだできるか」だけでは足りなくなる。できる仕事はいくらでも残る。頼まれる仕事もある。売上を増やす方法もまだ考えられる。しかし、できるから続けるというだけで、この先の10年まで会社へ差し出す理由にはならない。
この先もできるかではなく、この先もそこへ自分の時間を使いたいか
私は、この違いをずいぶん遅く知った。会社を大きくすることが悪いのではない。大きくした先に、本人が欲しいものが残るなら、それは一つの選択である。だが、規模を守るためだけに仕事を増やし、利益も時間も本人へ残らないのなら、何のための成長なのか。
経営者だけが会社へ人生を差し出し続ける仕組みを、「責任」というきれいな言葉で包んではいけない。
事業は神様ではない。会社を存続させるために人間が生まれてきたわけでもない。会社は、人の生活を支え、仕事から価値を生み、その価値を人生へ移していくための器である。器が人を食い始めたら、守るべきものの順番が逆になっている。
私にとって、氣の経営はそこまで含んでいる。世の中の変化を読む。自分の力が届く場所を見極める。仕事の形を変える。そして、そこで生まれた価値を、利益、信用、経験、知識、商品、仕組み、資産、時間、自由として残していく。
会社が終われば一緒に消えてしまうものだけを増やすのではなく、仕事の形が変わった後にも自分を支えるものへ変えていく。
私は飲食業をやめた。不動産開発からも降りた。仕事の形は何度も変わった。それでも、そこで得た経験や判断まで消えたわけではない。それらは次の仕事へ移り、やがて文章や考え方にもなった。
事業の形はいつか変わる。自分の身体も変わる。市場も変わる。だからこそ、会社そのものより長く残るものを持っていたい。
会社に何を残したかではなく、経営した人生に何を残したか
結局、私が「氣の経営」にたどり着いた理由は、そこにある。世界は思い通りには動かない。それでも、自分の時間と力を何へ使い、何を残すかは選べる。会社を大きくすることより、その選択を自分の手に取り戻すこと。
人生後半の経営で守りたいのは、会社という器より、その中で何十年も働いてきた人間の人生なのである。
【会社ではなく人生に何が残るか】
売上が増えても、本人に残るお金と時間まで増えるとは限らない。
経営を見るときは、会社に増えたものだけで判断すると足元を誤る。売上、顧客、設備、肩書が増えていても、そのために本人の時間、身体、気力、将来資金が削られているなら、別の代価を払っている。会社の数字だけが伸び、自分の人生に利益も自由も残らない。その状態を成功と呼ぶ前に、経営した結果として本人に何が残ったのかを判断材料へ入れたい。

(内田 游雲)

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