思考のクセ

思考のクセは、感情ではなく解釈の癖として現れる。比較、決めつけ、先読み不安、過剰な自責。事実と解釈を切り分け、見方を組み替えて判断を戻す場所だ。頭の中の独り相撲をやめ、今日の選択を軽くする。

自分が正しいと思う人はなぜ争うのか

戦いや争いの根本には自分が正義だとの思いがある|筆文字書作品
自分が正しいと思う人は、相手を責める前に、自分の正しさで心が固くなっている。争いは、怒りの大きさではなく、正義感を握りしめた瞬間に生まれる。相手が間違っていると決めるほど、言葉は刃になり、関係はぎくしゃくしていく。なぜ争うのか。その根には、自分だけが正しいという思い込みがある。

争いは拳からではなく
正しさの顔で生まれる

自分は正しいと握る手が
先に自分の心を傷つける

相手が悪いと決めた瞬間
世界は急に狭くなる

正義を振りかざすたびに
見えなくなるものがある

絶対の物差しなどない
それでも人は旗を立てたがる

戦いや争いは、相手が間違っているから始まるのではない。自分の正しさを疑えなくなった時に始まる。人は「自分は正しい」と思うほど、相手の事情や背景を見なくなる。
すると、意見の違いはすぐに善悪の問題へ変わる。そこから言葉は強くなり、対立は深まっていく。正義感そのものが悪いのではない。危ういのは、自分の正義だけを絶対の物差しにしてしまう姿勢である。
争いを減らすには、相手を負かす前に、自分の正しさを一度机の上に置く。そこから対話の余地が生まれていく。

正義感が経営判断を鈍らせる理由

争いの元には、「自分は正しく、相手が間違っている」という感情がある。自分が正しいと思う人は、自分の判断を疑う余白を失い、相手の言葉をすぐ否定として受け取る。では、なぜ争いを起こすのか。理由は、意見の違いを「考え方の違い」ではなく、「善悪の問題」に変えてしまうからだ。
正義感を振りかざす人の心理には、自分を守りたい気持ちもある。間違っていたくない。軽んじられたくない。負けたくない。そうした感情が奥にあるほど、人は「正しい側」に立とうとする。正しい側に立てば、自分の不安を見なくてすむ。だが、その瞬間に相手は「間違った側」に置かれる。そこから言葉は攻撃になり、話し合いは裁判のようになる。
争いの根本は、怒りの強さだけではない。自分の正しさだけを物差しにする姿勢にある。ものごとの正邪を決める絶対の物差しは存在しない。時代が変われば常識も変わる。国や宗教が変われば、正しいとされる行動も変わる。家庭の中でも、会社の中でも同じだ。育った環境、背負っている責任、見えている範囲が違えば、判断も違って当然である。
それなのに、自分の物差しだけで相手を測ると、相手の事情が見えなくなる。「普通はこうする」「それはおかしい」「そんな考え方は甘い」と言い切った時、会話の扉は閉まる。相手が黙ったとしても、納得したわけではない。言い返す気を失っただけの場合もある。表面上は収まっても、内側には不満が残る。これが人間関係の厄介なところだ。火は消えたように見えて、炭の中には熱が残っている。
経営では、この構造がさらに見えにくくなる。経営者は毎日、決める側に立つ。価格、採用、取引、方針、撤退、人への注意。どれも曖昧なままにはできない。だからこそ、自分の判断を強く持つ場面が増える。それ自体は悪くない。決められない経営は、船頭のいない船に近い。行き先が分からず、全員が不安になる。
ただし、経営者の判断がいつの間にか「自分の正義」へ変わると、会社の空気は荒れていく。社員の意見を反発と受け取る。顧客の不満をわがままと決める。家族や身近な人の忠告を理解不足として片づける。すると、周りは本音を出さなくなる。表向きは従う。だが、報告は遅れ、相談は減り、問題が見えた時にはかなり進んでいる。経営者にとって一番怖いのは、反論される状況ではない。誰も本当のことを言わなくなる状況である。
心に余裕がなくなっている時、人は相手の言葉を事実として聞けない。反対意見を攻撃と読み、質問を否定と受け取る。すると、判断は速く見えても、中身は感情の反射になる。机を叩かなくても、声を荒げなくても、「自分が正しい」という圧が場に出る。その場の空気が張りつめ、誰もが言葉を飲み込んでしまうような状態である。
ここで必要なのは、正義感を捨てることではない。正義感は、人を守る力にもなる。おかしいものをおかしいと言う力は、商売にも人生にも必要になる。問題は、それを絶対化する点にある。自分の正しさを掲げる前に、「相手は何を守ろうとしているのか」を見る。社員が反対する時は、怠けたいのではなく、現場の破綻を先に見ている場合がある。顧客が不満を言う時は、文句ではなく、期待との差を伝えている場合もある。取引先の渋い返事も、単なる非協力ではなく、相手側の資金繰りや体制の問題かもしれない。
経営者は、勝つためにすべての議論して決めるわけではない。会社を続けるために、材料を集めて判断する。そのためには、相手を悪にしないほうが得である。悪にした瞬間、情報が入らなくなる。相手の事情も、場の変化も、次に起きる兆しも見えにくくなる。これは精神論ではなく、かなり実務的な話だ。
争いを避けるとは、何も言わずに我慢する意味ではない。言うべきことは言う。ただし、「私が正しいから従え」ではなく、「この仕事を続けるために、何を基準にするか」と置き換える。人を裁くより、基準を共有する。感情をぶつけるより、事実を並べる。相手を負かすより、次の判断材料を増やす。そこに、経営者としての器が出る。
自分の正義を握りしめるほど、争いは増える。相手を間違いにするほど、関係はこじれる。戦いや争いの根本には、自分が正義だとの思いがある。だからこそ、経営者に必要なのは、正義を捨てることではなく、正義を一度横に置いて、事実と相手の事情を見る余裕である。争いを仕事の問題に変えない姿勢が、判断の質を守り、人との流れを生かしていく。



【卦象ミニコラム】
正しさをほどく
卦象:地天泰(ちてんたい)|上下を通わせる
変化|主張を下げて聞き直す

自分が正しいと思う人ほど、相手の事情を聞く前に結論を出してしまう。地天泰は、上と下が通い、閉じていたものが開く形を示す。ここで見る点は、順番である。先に正しさを出すと、相手は身構える。先に事情を聞くと、言葉の伝わり方が変わる。今日は、反論したくなった相手を思い出し、「相手は何を守ろうとしていたのか」を書いてみる。

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【今日の開運行動】:反論の前に相手の守りたいものを書く
今日、意見が合わなかった相手を選び、「自分の主張」「相手が守ろうとしているもの」「仕事として確認すべき事実」を三つに分けて書きだす。相手を悪者にする前に材料を分けると、注意すべき点と流してよい感情が見え、その後のやり取りが円滑になりやすい。

『正義を握りしめるほど、人は相手の声を聞けなくなる。争いを減らす力は、勝つ強さではなく、自分の正しさを一度横に置き、相手の事情と事実を分けて見る姿勢に宿る。』

【運を開く言葉】
書:瑞雪 文:游雲

▶ 【64卦から読む】:地天泰(ちてんたい)

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profile:
内田游雲(うちだ ゆううん)

ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングやコーチングを専門に行っている。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトの「運の研究-経営とお金が巡る仕組みの研究所-」は、氣の経営と運をテーマにしている。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。

profile:
瑞雪(ずいせつ)

書家。新潟県村上市に生まれる。幼い頃より書に親しみ、18歳で書家を志し、大東文化大学文学部中国文学科で青山杉雨氏に師事。卒業後 ㈱ブリヂストンに就職するも6年後に退職し、独自の創作活動を開始する。人生の法則を力強く書いたその書は、多くの人に生きる力と幸運をもたらすと評判である。雅号の瑞雪は、吉兆をもたらす雪を意味している。

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