執着を消すには「執着」を「好き」に変換する

お金に対する強い願望を持つ落とし穴

願望を強く持ち続けて、うまくいかないとその願望は執着に変わっていく。執着は、その対象物を引き離す力を発揮するのである。願望と執着の差は、その根底に怒りがあるかどうかだ。執着は不満を増大させるだけでなく、望んでいる対象を遠ざけ、ますます怒りの炎に油を注ぎ、執着の力を増大する。お金に対する執着は、結果的に経済的にゆとりの無い人生、幾ら幾ら頑張っても金欠に苦しむ人生に繋がっていく。(内田游雲)

強い願望を持ち続けてそれを信念に蓄積していくことで、お金持ちになっていくことができる。

【参考記事】:

こうした話は、たぶん、どこかで聞いたり、本で読んだりしたことがあるはずだ。しかし、これまでに数多く語られてきたことなのに、なぜか、お金持ちはそれほど多くはない。もし、これが真実であるならば、もっと、成功者が生まれていいはずである。

しかし、現実にはそうではないのだ。

執着すればお金は逃げていく

じつはここに一つの落とし穴がある。

願望を強く持ち続けて、うまくいかないとその願望は執着に変わっていく。願望が強ければ強いほど、執着に変わりやすいのだ。執着は、単なる願望とは全く異なる。

願望と執着を見分けるコツは、その根底に怒りがあるかどうかだ。執着している人は常に切迫感を持ち、感情を露わにする。そして、執着はいつも破壊的に作用するのだ。執着は、その対象物を引き離す力を発揮するのである。

ここに気がつかないうちは、どれだけ、お金持ちになりたいという願望を強く持ったとしても、うまくいかない。お金持ちになりたいという願望が「お金」に対しての執着となって、かえって、お金を引き離していくのだ。

これが大多数の人が、自分の可能性を最大限に生かせぬままに一生を終わる原因なのである。

被害者意識を自覚する

執着に陥りやすい人は、たいてい被害者意識を持っている。これには、おおよそ3つの特徴がある。

(1)自分の責任を認めず責任転嫁したがる人

被害者意識の強い人は、自分の責任を認めず、周囲の人が状況がうまくいかない原因だと騒ぎ立てる。近くにいる人ほど責任を押し付けられやすいから、周囲にいる人は大変である。

被害者意識を持った人は、自分には全く落ち度がなく、自分以外の総てに責任があると主張するのだ。

経済が悪い、
政府が悪い、
業界が悪い、
会社が悪い、
従業員が悪い、
上司が悪い、
部下が悪い・・・

など、とどまるところを知らない。特に親は責任を押し付けられやすいものである。そして、悪くないのはいつも「自分だけ」なのだ。

(2)無能な自分を正当化する人

被害者意識を持った人は、自分の状況を正当化したがるものだ。

「本当はお金なんて取るに足りないものだ」

このような表現もよく聞かれる。

もし身近にいる、配偶者、恋人、同僚や友人に面と向かって

「お前なんて取るに足りないやつだ」

そう宣言したら、関係はすぐに壊れてしまうだろう。これは、お金でも同じだ。お金が大事だと思うから、お金が入ってくるのである。お金なんてどうでもいいと思っている人が、お金に縁がないのは当然の結果なのだ。

「お金なんかより、愛情の方がもっと大切だ」

などと宣う人もいるが、この比較は全く無意味だ。

「手と足とどっちが大事か」

そう聞くのと同じことである。どっちも大事に決まっている。お金は、お金がものをいう世界では非常に重要だが、お金に関係の無い世界ではまるで無意味である。愛情で家が買えるわけでもないし、病院代を払ってくれるわけでもない。食べ物を運んでくるわけでもないのだ。

(3)愚痴る人

健康状態や経済状態について愚痴をこぼすことほど害になることはない。さすがに、借金などには、恥という感情がついてまわるため、大声で大衆の前で話す人はあまりいないが、健康などは、重いほうが自慢できるという不思議なことがある。

経済状況も、近しい関係になればなるほど愚痴りはじめる。愚痴をこぼしているときは「うまくいかないこと」にばかり目が向いているわけですから、ますます調子が悪くなるのだ。

今の全ての状態は自己責任

こうしたように、「自分は被害者」と思い込んでいる間は成功できない。成功を作り出すのは、ほかでもない、自分だからだ。

言い換えれば、人並みの財産しか無いのも自分の責任!
お金に困り、なかなか成功できないのも自分の責任!

意識するしないにかかわらず、すべて自分の責任なのだ。

しかし、お金に縁の無い人は、自分の人生の責任を取る代わりに、被害者の役を演じるのが大好きである。被害者を演じるということは、本当は被害者ではない。被害者面したがるのは、そうすることにリットがあると思い込んでいるからだ。

被害者のほとんどが、

「自分はなんてかわいそうなんだ」

そう考えている。そして、そのとおり、

「かわいそう」

な状態に陥ってしまうのである。

では、人はなぜ、被害者意識を持つのか。それは、人から注目されるからだ。自分の失敗に同情して貰うことで、注目を浴びようとするのだ。

しかし、これは「注目」と愛情」の履き違えである。責任転嫁し、正当化し、愚痴をこぼす度に、かえってあなたは、お金と成功から遠ざかっているのだ。

願望と執着の差は、その根底に怒りがあるかどうかだ。

その怒りの原因は、

「自分は悪くない」
「自分は被害者だ」

という被害者意識なのだ。そして、まずいことに、執着がその対象そのものを遠ざける。執着は不満を増大させるだけでなく、望んでいる対象を遠ざけ、ますます怒りの炎に油を注ぎ、執着の力を増大する。

残念なことは、私も含めて現代社会に暮らす人のほとんどが、お金に執着している。現代人が心配していることを順に並べると

(1)お金
(2)健康
(3)家族
(4)犯罪
(5)孤独
(6)仕事

たいてい、この順番である。

お金がこのリストの一番上にくる。お金は人生のほかの何事よりも多くの心配を生み出す。これが、お金への執着を生み出しているのだ。

もちろん、程度の違いはある。お金に対する執着は、結果的に経済的にゆとりの無い人生、幾ら幾ら頑張っても金欠に苦しむ人生に繋がっていく。

執着を忘れるとお金が入ってくる

では、お金への執着からどうすれば開放できるのだろうか。

お金を増やす為に、お金に対する執着を忘れる必要がある。一見矛盾しているようだが、そんなに沢山のお金が無くてもやっていけると思えるようになると、不思議なことに、沢山のお金が流れてくる。お金に対する執着から自分を解放すると、お金がどんどん入ってくる。お金を得ようと躍起になるのをやめると、たちまちお金が手に入るのだ。

これは、ほんとうに不思議なことだ。

では、どうすれば執着を無くすことができるのかというと、それができないのである。なぜならお金は、心配事のトップにあるのだから、そりゃあ、無理である。だったら、「執着」を「好き」に変換することだ。こうすると、執着が不思議と消えていく。

お金は欲しい。お金持ちになりたい。
それは、お金が「好き」だから。

でも手に入らなくても、怒らない。
だって、「好き」だから。

このような感じだ。

じつは、このライト感がとても重要である。肩に力が入りすぎると、何事もうまくいかない。

「強いけど、さらっと!」

ここがポイントなのだ。

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