人生は円のように循環し巡っている
人生は循環するものだ。だから、喜びの反対側に悲しみがあり、優しさの反対側に怒りがあることになる。そして、辛いことの反対側に楽しいことがあり、虚しいことの反対側には充実感があるのだ。人生を線ではなく円でとらえていれば、苦しみも悲しみも楽しさも喜びも、同一の線上にあって循環することが理解できるようになる。今がどんなに辛くても、いずれその状況は変化し変わっていく。そう考えられるようになれば、人生に苦悩することも少なくなる。(内田游雲)
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内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングや人生のコーチングを専門に行い、30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は、運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)
人間というものは、生きていればいろいろな困難に直面し、その時々で思い悩む生き物である。
そう考えると人生には、必ず苦悩がつきものであるといえるかもしれない。
現代の日本人のほとんどは、人生を直線で考えている。
生まれてから現在、そして死へと続く一直線だと感じている。
太陽暦が人生を苦に変えた
これは、太陽暦が明治6年に採用されて以降、人生は一直線になってしまったのだ。
それ以前の暦は、十干と十二支を使った旧暦と呼ばれるものだった。
この暦は中国から六世紀頃には伝わり、それ以降、明治維新まで使われていたものである。
この暦の最大の特徴は、数字ではなく十干と十二支を使い六十を周期とした干支の表記にある。
干支の起源は商(殷)代(BC1700年~1046年頃)の古代中国にさかのぼり日・月・年のそれぞれに充てられ、私たちの生活に染み込んでいた。
この暦では、60年後には、また同じ干支となる。
そうなると、私たちの人生も循環していくという思想になっていく。
ところが、明治維新後の太陽暦の採用後は、時の流れは全て一直線になってしまったのだ。
そうなると人生も一直線であり、人生が苦しく重いものになってしまう。
過去から現在、未来へと続く直線で人生を捉えてしまうと、その度ごとに遭遇する喜びや悲しみが常に新しく個別のものとなる。
しかし本来は喜びも悲しみも、人生に巡ってくる全てのものに連動性がありつながっているものなのである。
物事は円の上で向かい合う
干支の暦を使えば、人生をシンプルな円としてとらることができる。
人生は循環するものだ。
だから、喜びの反対側に悲しみがあり、優しさの反対側に怒りがあることになる。
そして、辛いことの反対側に楽しいことがあり、虚しいことの反対側には充実感があるのだ。
そんな風に、あらゆる物事は円の上で向かい合っている。
そして、そのそれぞれは決して個別の存在ではなく、全てがつながり連動して起こっているのである。
私たちは、「明けない夜はない」とか「止まない雨はない」という言葉をよく使う。
人生もそれと同で、同じ状態が永遠に続くことなどありえない。
しかし人生を線で考えてしまうと、この苦しみが永久に続くのではないかと感じてしまう。
苦しい状態が続くと、そこから逃れるためには、直線の人生から外れるしか無いと思いこんでいまいがちだ。
線から外れるということは、自らの命を絶つしか無いと感じてしまうのである。
これが人が自殺へ向かう思考である。
全ての物事は変化し循環する
しかし、人生を線ではなく円でとらえていれば、苦しみも悲しみも楽しさも喜びも、同一の線上にあって循環することが理解できるようになる。
今がどんなに辛くても、いずれその状況は変化し変わっていく。
そのうちに、楽しいことや幸せなときが巡ってくることに気がつくことができるのだ。
そう考えられるようになれば、人生に苦悩することも少なくなる。
全てのものは流れ、巡り、変化し、そしてつながっている。
人生が循環しているものだとわかれば、人生というものをもっと気楽にとらえて、苦しまずに生きていけるようになる。