強く願っても金持ちになれるわけではない

世の中には、スピリチュアルにハマる人が沢山いる。しかしこれはあまり良いことではない。なぜならこの世界はどこまで行っても現実の世界だからだ。スピリチュアル的なもの、宗教的なもの、こうしたものを信じるのは構わないが、それに振り回されるようなことはなるべく避けた方が良い。スピリチュアル的なものや、神仏の力を借りるということは、最後の最後、ほんとに他にやるべきことが全てなくなったその時に初めて頼るべきものである。(内田游雲)

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内田游雲(うちだ ゆううん)

ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングや人生のコーチングを専門に行い、30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は、運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)

強く思ったことは現実化する

「思考は物質化する」

このような言葉を、あなたも一度は聞いたことがあるだろう。では、この言葉は、いったい何を意味しているだろうか。

れは、「強く考える」か、あるいは、「くり返し考えられたこと」は現実となることだ。日本では、これを昔から念と呼んでいた。念には力があり、それはまた「念力」とも呼ばれる。つまり、念力とは、「強く思ったことには現実となる力がある」という意味だ。

この「念」というのは、ただ考えるだけで作られるものではない。

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思考+感情=念
ということだ。

ここでいう感情とは、気分あるいは心持ちのことで、つまり、今どう感じているかということだ。つまり、思考と感情が合わさることで「念」となり、現実化していく力を持つということである。

だから思考だけでは、現実化することはなく、ただ、流れていってしまうものであり、ほとんどの人が思ったことがかなわないのは、ここに一つの原因がある。

願えば本当に叶うのか

さて、それでは、本当に願えば叶うのだろうか?

よく、
「金持ちになりたかったら、金持ちになることを願いなさい」
という話を聞く。
あなたも、そのような話を一度は耳にしたことがあるだろう。

では、果たしてそれは本当だろうか。はっきり言ってしまえば、それでは叶わない。なぜなら、世界の人口のほとんどの人が願っているはずなのに、金持ちは少数しかいないからだ。これは、確実な証拠だ。

僥倖をただ信じて待っていても意味はない

確かに、金持ちになりたいという最初の意思は大事である。それがないと金持ちになるための行動ができないからだ。しかし、よく考えてみればいい。電車に遅れそうだからと、座って必死になって願っても間に合わないのだ。それよりも、まず「走れ!」ってことだ。

金は、天から降ってくるわけでは無い。願って待っていても、遺産相続で大金が転がり込んでくるなどといったことが、金持ちになりたいと願った人全員に起こることなど、現実世界では100%ありえないのだ。当たり前のことである。

奇跡ではなく行動に頼れ

しかし、なぜか、多くの人はこういう僥倖をただ信じて待っているだけだ。笑える話だ。ただ普通に考えて行動すればいい。金持ちになりたければ、金をもっと稼げばいい。金をもっと稼ぎたいと思ったら、稼げるようなことをすればいいだけだ。

稼げない仕事は続けないこと。
稼げる仕事は辞めないこと。
もっと多く稼ぎたければ、起業すればいい。

起業家や経営者は朝から晩まで金を稼ぐことに全力を集中する仕事だ。言い換えれば「金を稼ぐこと」のために生きればいい。それだけのことだ。じつは単純なことなのである。

そもそも、資本主義の世界で生きるためには「使う金は収入より少なくする」を徹底することが基本になる。これさえできていれば、時間とともに、自然と金持ちになっていける。それを難しく考えるから、ありえないものに頼ろうとするのだ。

ただ普通に考えて普通に行動すればいいだけだ。そこには、スピリチュアル的な奇跡は何も必要ない。

もっと現実的に生きるべきだ

しかし世の中には、こうしたスピリチュアルにハマる人が沢山いる。これは問題である。なぜならこの世界はどこまで行っても現実の世界であり、残酷な仕組みになっているからだ。

もちろん、そうした力が存在するということは、誰も否定できない。しかし、その力を盲信しすぎて目の前にある現実に向かうことを、忘れてしまうと、後は転がり落ちていくしかなくなる。スピリチュアル的なもの、宗教的なもの、こういったものを信じるのは構わないが、それに振り回されるようなことはなるべく避けた方が良いのだ。

そもそも、こういったスピリチュアル的なものは、目の前の現実の世界で、やるべきことを全てやり終わった後で初めて頼るべきものだ。

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宮本武蔵が、「独行道」に次のように書いている。

「仏神は尊し仏神をたのまず」

スピリチュアル的なものや、神仏の力を借りるということは、最後の最後、ほんとに他にやるべきことが全てなくなったその時に初めて頼るべきものなのである。もちろん、それが効果があるかどうかなど、誰にもわからない。なぜなら現実の世界は、そうしたものだからだ。

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