あなたはこの人生を使って何をしたいのか

あなたが働く理由とは何だろうか

多くの人は自分の天職である「職業」が世の中のどこかにはあって、どうしたらその天職にめぐり合えるかと考えていたりする。しかし、これは違うのだ。天職とは、「職業」のことではない。天職とは役割のことである。この役割を自覚できるようになるのには、それなりの経験と時間が必要になる。苦しんで、悩んで、次のステージへとステップアップし続けた先に、ぼやっと見えてくる役割が天職なのである。(内田游雲)

私たちが働く理由は、そもそも何だろうかか?

じつは、これは、日本人と西洋人とでは、全く基本になる部分が違うのだ。それが、宗教観である。

私たちが働く理由

リスト教文化圏においては、働くことは罰則である。

人類は、エデンの園を追われた為に、額に汗して働かなければ食料を手に出来なくなる。つまり、働くということは、神から与えられた原罪なのだ。だから、キリスト教文化圏では、お金持ちになって働かないで過ごすことが、この上もない憧れとなる。そうなると働くことの目的は、働かないで済むようになるためとなるのだ。

ところが仏教圏では、日々の生活が修行であり、働くことは悟りへの道となる。そうなると、一生働くことができることが幸福であり、働くことで悟ることが目的になっていく。さらに日本の場合には、神道が底流にあって、自然の中で生かされているのであって、自分自身が、この世界の一部として役割を担って生きている。こうした感覚がある。

もちろん、何が正しいということはない。

自分はどうなりたいのか?
何のために、生きていくのか?

それだけの事なのである。

一度きりの人生で何をするのか

私たちの人生において、働くこととは何だろうか?
一日の1/3以上の時間を費やして、何のために、働いているのだろうか?

もちろんお金を稼ぎ、日々の生活の糧を得る為であることは間違いはない。しかし、人生とはたった一回きりなのだ。小さく生きることもできるし、大きく生きることもできる。全ては、自分で選択して、自分でその結果を受け取る世界である。

あなたが、この人生を使って、何をしていきたいのか?

ここを考えてみて欲しい。

その先には、天命とは何か?
自分の使命とは何か?
そして、生きるとは何か?
さらには、天職とは何か?

こうしたことが透けて見えてきくる。それが見えて来たら、働き方が変わってくるのだ。

あなたは何のために働いているのか

多くの人は自分の天職である「職業」が世の中のどこかにはあって、どうしたらその天職にめぐり合えるかと考えていたりする。しかし、これは違うのだ。

天職とは、「職業」のことではない。天職とは役割のことである。

孔子の言葉に

「吾十有五而志于学、
三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、
七十而従心所欲 不踰矩」

(論語・為政)

とある。これは、孔子が晩年に振り返って言った言葉だ。

「十五才で学問を志し、
三十才で学問の基礎ができて自立でき、
四十才になり迷うことがなくなった。
五十才には天から与えられた使命を知り、
六十才で人のことばに素直に耳を
傾けることができるようになり、
七十才で思うままに生きても人の道から
外れるようなことはなくなった」

という言葉です。

この五十而知天命(50にして天命を知る)というところが、つまり、自分の役割が自覚できるという部分なのである。つまり、自分が、この世界で担っている役割が、つまるところ天職なのだ。

天職とは、職業ではない。役割なのだ。この役割をなんとなくでも、自覚できるようになるのには、それなりの経験と時間が必要になる。やりたいことをやって、苦しんで、悩んで、次のステージへとステップアップし続けた先に、ぼやっと見えてくる役割が天職なのである。生きるとはどういうことなのか?仕事とは何なのか?常に、ここを問いかけ続けてみることだ。そうすることで、きっとこの天職という役割にたどり着くことができものなのである。

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