読書百遍(ひゃっぺん)意自ずから通ず

ネットを見るよりも本を読もう

ネットに比べれば、本を読むことのほうが、情報量は圧倒的に少なくなるが、しかし現実には、この少ないということのほうが情報を理解ていくにはむしろ良いことである。それは、少ない情報を何度も読むことで、行間を読むことができるからだ。そして、この行間にこそ重要な部分が隠されてるものだ。(内田游雲)

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内田游雲(うちだ ゆううん)

ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングや人生のコーチングを専門に行い、30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は、運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)

活字中毒だった私

現代のネット社会は、情報が大量に流れてきて、誰もが情報の海に溺れている状態にある。しかし、それでは、しっかりとした思想や世界観が身につくことはない。

ネットに比べれば、本を読むことのほうが、情報量は圧倒的に少なくなるが、しかし現実には、この少ないということのほうが情報を理解ていくにはむしろ良いことなのである。

私は、昔から本を読むことが好きだった。活字がないと、どうも落ち着かない人間なのだ。そこで、とにかく、量を読んでいた。おおよそだが、月に50冊は平均して読んでいた。まさに乱読という状態だ。もちろん本代もかなりかかる。

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それがある時期を境に、本の読み方が変わってきた。かれこれ20年ほど前だろうか。事業で問題が生じた時に、かなり資金繰りに苦しんだ時期がある。それは、日々の食費にも事欠くほどだった。そんな状態だったため、もう本など買うことができない。それでも、本をどうしても読みたい。

そこで、以前に読んでしまっていた本を取り出してきて読む。すると、これがなぜか面白いのだ。確かに以前に読んだはずなのに、全く別の内容に思えてしまう。このこと以来、同じ本を何度も読む形に読書の仕方が変わってきた。

気に入った本を数冊、机の上においておいて、気が向いたものを手にとって読む。これを、何度も繰り返している。そして、この本はもう良いかなと思えたら、次の本に移っていく。今はそんな本の読み方をしている。

受け取れる内容が変わる

同じ本であっても、読む時期や抱えている問題によって、読み取れる内容が全く別のものになる。それは、受け取るこちら側の感情や経験などが違っているからなのだ。

これは、スマホを使って情報を得ているだけでは、できないことだ。メールやネットのニュース、ブログ記事などは結局、ただ飛び去って行くだけで、情報を垂れ流しにしているに過ぎない。それでは、自分の中で醸成して体に染み入ってくるという体験はなかなかできない。

ネットより現実の本を読むことが役に立つ

確かに現代はインターネットの普及で100年前とでは、入ってくる情報量が大きく違う。しかし、本などの情報から受け取る知識の深さは、むしろ、昔のほうが深かったのではないかと思えるのだ。

私の子供は、あまり本を読まない。なぜかと尋ねると、ネットからの情報こそが、正しいと思いこんでいる節があるのだ。

しかし、これは間違いなのだ。ネットの情報より現実の本を読むことのほうが、よほど役に立つものである。

本を読む時は行間を読もう

たしかに、ネットに比べたら、本の方が情報量は少なくなる。しかし、この少ないということのほうが、むしろ良いのだ。

それは、少ない情報を何度も読むことで、行間を読むことができたからだ。そして、多くの場合、この行間にこそ重要な部分が隠されていたりする。
著者の本当の意図は、この行間に込められているのだ。

『読書百遍(ひゃっぺん)意(い)自(おの)ずから通ず』

という言葉がある。

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文意の通じないところのある書物も、百遍も繰り返して熟読すれば自然に明らかになる。乱読を戒(いまし)め、熟読が肝心であると説いた言葉だ。

現代のネット社会は、誰もが乱読状態にある。しかし、それでは、しっかりとした思想や世界観が身につくことがない。

あなたも、ぜひ同じ本を何度も繰り返し読むことを試してみるといい。そうすることで新しい何かが見えてくるかもしれない。

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