物を持つことで問題やストレスが生まれる

ミニマリズムと日本人

ミニマリストというのは、多くの持たない自由を欲する人たちのことだ。ミニマリズムの本質とは、じつは、さらなる上を目指す一つの形である。持っても持たなくても、どちらが偉いとか良いといったことは全くない。物を持つことで、かえって生まれるストレスや問題よりも、持たないという身軽さ、自由さをたくさん欲するのである。生き方の一つの選択肢としてミニマリズム(最小限主義)はある。(内田游雲)

profile:内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。中小企業や個人事業等の小さな会社のコンサルティングを中心に行う。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的コンサルティングには定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)

日本のミニマリストの傾向

アメリカなどで流行しているミニマリストというのは、多くの持たない自由を欲する人たちのことだ。それは、物を欲しがることを否定するのではない。物を持つことで、かえって生まれるストレスや問題よりも、持たないという身軽さ、自由さをたくさん欲する人たちである。

日本でも同様な人が増えてきているのだが、その人たちは、少し違うである。

日本では、
必要最低限稼いで、
必要最低限の家に住んで、
必要最低限のものを買って、
外食に行かず自炊して
地元で最低限の仲間と過ごしているし、
中には、山の中に小屋を建てて住んでいる人も現れている。

一度きりの人生なんだから、もっと可能性を追求すればいいのにと思う反面、最近の日本の社会では最低限でいいと思ってしまうのも無理はないと思う。

なぜなら今の日本は普通に働いていたのでは、人並みの生活もなかなか送れないからだ。日本においては、一旦、非正規雇用になると、年収200万円を稼ぐことは、かなり厳しくなる。企業が一人の人に長時間働いてもらうより、短時間のパート労働者を多くしたほうがより儲かるからだ。

その結果として、普通のことをして金を稼ぐことは難しいので、最低限の生活で生きていけばいいという有る種の諦めがそこに存在するのだ。

一方アメリカなどのミニマリストは、自分の幸福を目指していく中で、無理して金持ちを目指す意義がないと考えて金を追いかけることを止めた人たちだ。

今の日本の状況とかなり違う。

【参考記事】:

内田遊雲の発行する【気の経営-メルマガ編-】(無料)はこちらから

鴨長明と方丈記の世界

さて、このミニマリズム(最小限主義)は、決して新しいものではない。それどころが800年ほど前の日本に、このミニマリズム(最小限主義)の実践者がいた。

その人の名が「鴨長明」である。

日本の三大随筆の一つと言われる「方丈記」の作者だ。

「ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみにうかぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。」

こう始まる方丈記の冒頭は、学校で誰もが覚えた有名な作品だ。

この鴨長明は、音楽と和歌の才に優れ、後鳥羽院に才能を認められ、和歌所の寄人に抜擢されるほどの名声を得る。しかし、その後出家して、終の棲家としたのが方丈庵だ。

とても小さな庵で、一辺が一丈(約三メートル)の方形だったことから”方丈”と名付けられた。この方丈庵で執筆したことが、「方丈記」の由来となっている。

さらに方丈記の後半に次のような文章がある。
(ここは現代語訳で)

「身分が低ければ権力者の前で
小さくなっていなければならず、
貧乏であれば裕福な隣人と
顔を合わせる度に恥ずかしい
思いをせねばならない。

人家の密集地に住めば
火事の類縁をまぬがれず、
僻地に住めば交通の便が悪く、
盗難の心配もある。

出世する程心は貪欲になっていき、
かといって独身だと軽く見られる。

財産があれば心配になり、
貧しければ恨みがましくなる。

誰かを頼りにすると自分は失われ、
その者に支配されることになる。
誰かの面倒をみると愛情にしばられる。
世の中の常識に従えば窮屈だが、
従わないと狂人と同じに映る。

結局、この世には
心休まるところはどこにもない。

どんな仕事をしてどのように生きても、
ほんの一瞬もこの社会では
心安らかに暮らす事が出来ない。」

こうして、鴨長明は最小限主義の隠遁生活を送ることを選ぶのである。ここに、日本のミニマリズム(最小限主義)の根源がある。

夏目漱石の無常観

この方丈記の文章を読んで思い出す文章がもう一つある。

それが、夏目漱石の『草枕』だ。

草枕の冒頭は、

「山路(やまみち)を登りながら、
こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情(じょう)に棹(さお)させば
流される。
意地を通(とお)せば
窮屈(きゅうくつ)だ。
とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高こうじると、
安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと
悟(さと)った時、
詩が生れて、画(え)が出来る・・」

ここにも、鴨長明が記した無常観が現れている。漱石の場合には、芸術論を展開するが、その根底には、日本文化の底流にある無常観が見て取れるのだ。

内田遊雲の発行する【気の経営-メルマガ編-】(無料)はこちらから

ミニマリズムで上を目指す

ミニマリズムの本質とは、じつは、さらなる上を目指す一つの形である。

たくさん持ちたい人は、たくさん持てばいい。
大金持ちになりたい人は、大金持ちになればいい。
小金持ちでいいという人は、小金持ちになればいい。

どちらが偉いとか良いといったことは全くない。どちらでも良いのだ。生き方の一つの選択肢としてミニマリズム(最小限主義)はあるのだ。

【参考記事】:

関連記事一覧

error: Content is protected !!