精神と物質についての間違い

精神的なものと物質的なものを分けて考えることは、現実には、全く意味の無い事だ。精神はそれ自体を実現する為に物質を必要とし、物質に、価値や意味を与える為には精神を必要とするのである。この世の中は、どこまで行っても、精神と物質の二元性で成り立つ。だから、どちらかに偏って考えたり行動しても上手くいかない。(内田游雲)

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内田游雲(うちだ ゆううん)

ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。小規模事業や個人事業等の小さな会社のコンサルティングを専門に行い、30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的コンサルティングには定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は、運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)

目的を考えれば反対に気づく

世の中のほとんどの人が、精神と物質を分けて考えている。

瞑想したり祈ったりしている人を見ると、私たちはそれを精神的な活動だと考えてしまう。
また、何かを購入するために対価を支払う人は、明らかに物質的な活動だと考えてしまいがちだ。

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しかし、瞑想している人は、自分の利益のために祈っているのかもしれないし、買い物をしている人は、愛する人を喜ばすためにプレゼントを買っているのかもしれない。
その人の心の中をのぞいて目的まで理解すれば、実際には全く逆の活動だということが判る。

物質的だと考える行動について調べてみると、本質は精神的であることが多々あるものだし、精神的だと考えられることも、深く見てみれば、物質が絡んでいたりするのである。

精神と物質は分離できない

精神的なものと物質的なものを分けて考えることは、現実には、全く意味の無い事で、精神はそれ自体を実現する為に物質を必要とし、物質に、価値や意味を与える為には精神を必要とする。
精神と物質は、本質的には分離できない二元性だということである。

さて、多くの人と話をしていて気づくのが、たいてい精神的傾向か、物質的な傾向に偏っていることだ。

スピリチュアルなものを信じている人は、精神的なものだけで、全てが実現できると信じ込んでいるし、反対にスピリチュアル的なものを信じない人は、この世界は物質が全てであると考えているのである。

これらはどちらも間違いであり、精神的なものと物質的なものは、両方が密接に絡み合っているのが真実の姿だ。
私たちは、物質の世界に生きている。
しかし、その物質に価値や意味を与えるのは、精神的な活動なのである。
どちらも否定することはできない。この二つは秩序だった一つのものなのである。

精神と物質の中道を行く

収入を得るといった、どこまでも物質的に見える活動も、それを実行する人間の精神によって影響される。
なぜなら、行動を起こす為の動機付け(モチベーション)は、精神的活動だからだ。

精神的活動の結果、収入といった物質的成果がもたらされるのだ。

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この世の中は、どこまで行っても、精神と物質の二元性で成り立つ。
だから、どちらかに偏って考えたり行動しても上手くいかない。
精神的なものと物質的なものを、両方同じように求めていく。
つまり、その真ん中、中道を行くことで、はじめて成果を上げていけるのである。

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