神は金を生み出せない
神様に、金を沢山くださいと願ったとしても、神様は金を出現させることができない。なぜなら、金は人間が作り出したものだから、金は神様の能力外のところにあるからである。この世界に無から金を生じさせることができるのは国家だけだ。これを通貨発行権という。
神様に、金を沢山くださいと願ったとしても、神様は金を出現させることができない。なぜなら、金は人間が作り出したものだから、金は神様の能力外のところにあるからである。この世界に無から金を生じさせることができるのは国家だけだ。これを通貨発行権という。
世の中には、スピリチュアルにハマる人が沢山いる。これはあまり良いことではない。なぜならこの世界は現実の世界だからだ。スピリチュアル的なもの、宗教的なもの、こうしたものを信じるのは構わないが、それに振り回されるようなことはなるべく避けた方が良い。
多くの社長が、現実に「祈り」を重要視していたことは紛れもない事実である。世の中には、大きな流れ、力、意思といったものがある。この流れには人間は絶対に敵わない。どれだけ一生懸命勉強したり努力しても、流れに逆らってしまっては結果につながらないのだ。
人生で欲しいものを手に入れる第一歩は、何が欲しいかを見極めることである。しかし、ほとんどの人が、自分の人生で何が欲しいのかを正確に把握していない。裏を返せば自分の欲求についての、明確で具体的なイメージを持っていないということだ。
本当の豊かな人、金運がいい人、つまり「富者」とは、「自由」を完全に持っていることだ。それは決して「金銭」や「所有品」を沢山持っている人ではない。「物を所有する利益」は「所有するために心が引っかかって自由を失う不利益」によって相殺される。
幸運を引き寄せるのは、才能よりも熱意である。熱意とは、どれだけ一生懸命になっているかだ。引き寄せるのは幸運だけではない。人間も惹きつけるのだ。人が惹きつけられることで幸運がもたらされる。成功するためには、才能よりも熱意のほうがよほど重要になる。
お釈迦様は、どのような理不尽な目にあっても怒ってはいけないと説いている。憎しみや怒りの感情からは、何も生まれないことを知っていたからだ。怒りは、最初は小さくても自らを増幅し感情を蝕んでいく。だから、何があっても怒らないことが重要なのだ。
まず与えることが重要である。こうした話をすると「お金もないから、何も与えるものがない」そんなことを言う人がいる。与えるとは、物やお金だけをいうのではない。明るく挨拶をする。優しく微笑みかける。こうしたことも与えることだ。