心配事のほとんどは起きない
どうでもいいことを心配する人が多くいる。こうなったらどうしよう。ああなったらどうしよう。さらに大きいところでは、人類が滅亡したらどうしよう。多くの人がどうでもいい心配を毎日のようにしている。しかし、こうした心配のほとんどが、現実には起きないのだ。
どうでもいいことを心配する人が多くいる。こうなったらどうしよう。ああなったらどうしよう。さらに大きいところでは、人類が滅亡したらどうしよう。多くの人がどうでもいい心配を毎日のようにしている。しかし、こうした心配のほとんどが、現実には起きないのだ。
誰であっても、目標に向かって歩みを止めなければ、必ずそこにたどり着くことができる。しかし、この一歩ずつ進んでいくということが、ほとんどの人ができないようになっている。私たちの人生においては、長期目線で俯瞰することがとても重要である。
人間は自分に対して言い訳をするのがとても上手だ。何か欲しい物があるとあったら便利だからとか、安いからなどと言い訳をする。こうして、ただ欲しいだけ、金を使いたいだけという理由が、必要性としてすりかえらる。
スピリチュアルといわれる分野は、効果が証明できない為につい依存しがちになってしまうものだ。どっぷりはまって盲信したらダメなのである。99%は論理的な合理的な努力が必要だ。残った最後の1%は神頼みでもいい。
人には誰にも欠点がある。そして、ほとんどの場合、この欠点を直そうと必死になる。しかし、所詮人間は完璧にはなれない。どんなに努力しても、それはかなわぬ願いなのだ。それよりも、欠点を自覚し、受け入れることの方が大事だ。
世の中には、スピリチュアルにハマる人が沢山いる。これはあまり良いことではない。なぜならこの世界は現実の世界だからだ。スピリチュアル的なもの、宗教的なもの、こうしたものを信じるのは構わないが、それに振り回されるようなことはなるべく避けた方が良い。
運には、「良い」「悪い」ということはなく、そこにあるのは運の波があるだけということだ。「運気」は、個人にもあるし、家族にもあるし、会社にもあるということだ。基本は、個人の運気にあるのだが、それが、ある集合体になると、その集合体全体の運気となる。
仕事であれ、趣味であれ、何かを得るたり成果を出す為には、夢中になって情熱を傾ける必要がある。逆に言うと成果が出ないのは、情熱の注ぎ方が足りないのだ。結果が出ないと悩む前に、まず結果が出るだけの情熱を注いでいるかを見直すことだ。ほとんどの場合、・・・
世の中の物事は、1~2回やっただけでは、うまくいくことは稀である。何度も、チャレンジし、試行錯誤した先に初めてうまくいくものだ。この時、どれくらいチャレンジすべきかという基準が100という数字なのだ。100は、何らかの成果が出る数字である。
人の感情の中でも特に無意味なものの一つが、心配するということである。それは優しさの現われだったり、不安から来るものだが、心配することからは何も生み出さない。ただ、心が右往左往して不安に振り回されるだけだ。