
激しく責めるのは認めて欲しい表れである
激しく責める人は、その裏側に劣等感がある場合が多いものだ。自分に自信がなく自己重要感が得られない人ほど劣等感の裏返しとして他人を責める。自分を肯定できて自己重要感が満足されていれば、失敗もただ指摘するだけだ。
激しく責める人は、その裏側に劣等感がある場合が多いものだ。自分に自信がなく自己重要感が得られない人ほど劣等感の裏返しとして他人を責める。自分を肯定できて自己重要感が満足されていれば、失敗もただ指摘するだけだ。
幸福というのは人それぞれ違うものだ。しかし、ほとんどの人がみんなが目指す方向にそれがあると信じている。もう、この時点で違っているのだが、みんなが目指しているからそれが幸福に違いないと思い込んでいるのだ。幸福とは、人それぞれの価値観で決まる。
いま○○だから・・・。まだ○○できないから・・・。これらは、何もできない人の言い訳である。こうした言い訳をする人は、起業に限らず、結局何も行動を起こすことができない。何かに取り組む時に100%条件が揃うことはまずありえない。
人の心を掴むには真剣に興味深く相手の話を聞くことだ。相手の話を聞くということは、相手のことを認めることになる。しかし、なかなか自分の事を聞いてくれる人は少ない。特に、自慢話など誰も聞かない。人が一番聞いてほしい話は、自分の自慢話である。
不幸と幸福とどっちが簡単に手に入るかといえば不幸である。感情に任せていれば人間は自然と不幸になる。幸福は、自分の意志で感情をコントロールし、目的に向かって努力することで初めて得られる。だから、人間は放っておくとすぐに不幸になる。
何かを成し遂げるためには苦しまなければいけない。そう言う人がいる。もちろん、そういう考え方も解るし、あるとは思う。しかし、そもそも私たちは何のために生きているのだろうか。人生を充実させて幸福で楽しく生きるためだ。
周りからよく見られたいと誰もが思っている。しかしそこで自分以上の姿を装ってしまうと、後で現実とのギャップが埋められなくなる。理想を描いてそのふりをするのもいいのだが、やりすぎると今度は落差で自分を縛ってしまうのだ。
人生の総ての出来事は、外的に動かされて起きるのではなく、自分自身の意識に従って起きている。人生は振り回されていると感じるのではなく、自分が自分の人生を創造していると意識することだ。そうすれば、人生はすべてコントロール下になる。
与えれば与えられるのが人生の法則である。だから、他人の成功を批判すると、次には自分の成功を応援してもらえなくなる。結果的に、自分が成功しにくい状況が生まれてしまうのだ。つまり他人の成功を喜ぶことで自分も成功に近づくことになる。
人生を変えようと思ったら過去から離れることだ。過去を悔いても何も変わらない。過去に囚われこだわっていると、嫌な記憶だけが蘇って来て気分が落ち込んだりする。これから先の未来に意識を集中していく方がパワーが出るし可能性はより高くなる。