怒りが全てを破壊する
お釈迦様は、どのような理不尽な目にあっても怒ってはいけないと説いている。憎しみや怒りの感情からは、何も生まれないことを知っていたからだ。怒りは、最初は小さくても自らを増幅し感情を蝕んでいく。だから、何があっても怒らないことが重要なのだ。
お釈迦様は、どのような理不尽な目にあっても怒ってはいけないと説いている。憎しみや怒りの感情からは、何も生まれないことを知っていたからだ。怒りは、最初は小さくても自らを増幅し感情を蝕んでいく。だから、何があっても怒らないことが重要なのだ。
他人の言動は、自分自身が受け入れない限り、それで傷つくことはない。では、何があなたを傷つけているのだろうか。思い出してほしいのは、他人の言動に激怒する時は、たいてい自分の中に劣等感があり、それを刺激される場合が多いのだ。
情熱を持つことはとても大事だ。しかし、この情熱が自分勝手な思いに変わり、自分が自分がという気持ちが強くなりだすと、感情的になってしまう。こうなると、周囲に軋轢を産み何事もうまくいかなくなる。
愚痴が多い人をよく見かける。こうした人に限って誰かが、それを解決してくれるのをじっと待っている。しかし、決してそんなことは起きない。自分で解決しなければ、何も変わることは無いのだ。愚痴は、自分だけではなく周囲の感情も暗くしていく。
多くの人が色々な不安や心配に悩まされ、酷い時には鬱になったり、病気になったりする。しかし、この不安や心配は、自分の中の感情であって現実に起きていることではない。現実ではないのだから、本当は、何も心配することも無く、不安に感じることも無いのだ。
人が不幸を感じる時は、自分の期待していたことが思いどうりにならなかった時だ。しかし、この期待とは、そもそも自分が勝手に思い込み感情で作り上げたものなのだ。感情で、勝手に期待をし、それがうまくいかないと感情で勝手に不幸を感じてしまうのである。
世の中の争いごとのほどんどが、自分は正しいという思い込みから始まる。世界中で起きている争いや戦争の多くもこうして始まるのだ。さらに正しいか、正しくないか、という基準も自分で勝手に決めた基準である。争いとは、こうした妄想の産物なのだ。
人間の感情のうち、もっともエネルギーを消費するのが怒りだ。だから、怒るのを止めれば心は疲れにくくなる。そもそも、怒りとは、自分の思う通りに周囲がならない場合に起こる。それは、自分自身が勝手におこした妄想なのだ。