「正しい」より「楽しい」を優先してみる
私たちは物事を選択する場合、正しいか誤っているかで決めるよう子供の頃から教育されている。しかし、この「正しい」が曲者で、「正しい」からといって良い結果をもたらすとは限らないのだ。「正しい」故に、かえって上手くいかないことも多くある。
私たちは物事を選択する場合、正しいか誤っているかで決めるよう子供の頃から教育されている。しかし、この「正しい」が曲者で、「正しい」からといって良い結果をもたらすとは限らないのだ。「正しい」故に、かえって上手くいかないことも多くある。
何か問題が起こった時に、その問題から逃げ出してしまった場合、不思議な事に同じような問題が形を変えてまた起こってくる。あなたの周りに起きた問題は、あなたの人生で乗り越えるべきテーマが含まれているからだ。
人は、誰でも失敗をする。これは仕方がないことだ。この時に、感情で自分に怒り後悔すると、その後悔がまた感情を駆り立てることになる。駆り立てられた感情は、今度は怒りに変わてしまう。怒りに変わった感情は、自分や周囲を傷つけさらに失敗を大きくしていく。
口から出る言葉の力は巨大である。発した言葉はそれを聞いた人に大きな影響を及ぼす。そして、その言葉の影響を一番大きく受けるのは、一番近くでいつも聞いている自分自身なのだ。
自分が正しいと思うと他人を裁くようになる。正しいという価値観はどうしても他人への断罪になりやすいのだ。心狭き善人では幸福にはなれない。正しいとか正しくないというよりも、重要なのはいかに感謝できるかだ。
自分だけうまくやろう。自分だけ得をしよう。こういう人が一番騙されやすい。客観的に見ればありえないことも、自分だけが得をしようと考えて判断が曇るのだ。世の中の全ての取引は、双方の利益になってこそ上手く運んでいく。
世の中の多くの人がなかなか行動を起こせないものだ。それは「失敗したらどうしよう。」そうした恐怖心が芽生えるからである。しかし、何もしないよりも失敗したほうがいいのだ。全く失敗しないで物事が上手くいくことはありえない。
失敗の原因は、それがなんであれ全て自分にその責任がある。しかし、誰もがこれを認めたくない。自分は悪くない。悪いのはあいつだ。こう思いたいのだ。しかし、これが一番成功を遠ざけることである。他者の責任にしているうちは、何も学ぶことはできない。
あなたが手に負えない状況に陥っているのであれば、その相手や状況から距離を置いたほうがいい。距離を置いて、時間をかけ、冷静になってどうすればいいかを考えなおしてみることだ。そうすることで新しい視点が生まれ、新しいアイディアが生まれてくる。
人間というものは、とても辛抱強くできている。たとえ過酷な状況におかれても、それなりに状況に順応することができる。また、人間は変化に対して恐怖を感じる動物でもある。そのため、どんな不幸な状況にあったとしても、その状況に順応し馴染んでしまうのだ。