
何が正いかよりも何を学び取れるかを考える
いたずらに正義を振りかざすよりも、起きたことから何を学ぶかの方が重要である。しかし、人はすぐ他人を裁こうとする。その方が気分がいいからだ。しかし、それでは自分は何も得るものがない。それよりも、そこから何かを学ぶ姿勢が大事なのだ。
いたずらに正義を振りかざすよりも、起きたことから何を学ぶかの方が重要である。しかし、人はすぐ他人を裁こうとする。その方が気分がいいからだ。しかし、それでは自分は何も得るものがない。それよりも、そこから何かを学ぶ姿勢が大事なのだ。
世の中の争いごとのほどんどが、自分は正しいという思い込みから始まります。世界中で起きている争いや戦争の多くもこうして始まるのです。さらに正しいか、正しくないか、という基準も自分で勝手に決めた基準です。争いとは、こうした妄想の産物なのです。そし・・・
自分が正しいと思うと他人を裁くようになる。正しいという価値観はどうしても他人への断罪になりやすいのだ。心狭き善人では幸福にはなれない。正しいとか正しくないというよりも、重要なのはいかに感謝できるかだ。世の中のすべてに感謝できた時、本当の幸福が・・・
怒りの原因は、自分が正しいという思い込みからきている。他人を責める気持ちが生じるからだ。正しいとか正しくないというのは相対的な価値観だから絶対ではない。しかし人は自分の価値が絶対だと勝手に思い込むのだ。そこから人を責めたり、何もしてくれないと・・・
誰もがすべて、自分のことは棚に上げて考えています。人はいつでも他人を責めることで自分だけは素晴らしいと思い込みたいのです。そして、怒りのはけ口のために、叩きやすい誰かを、いつも見つけようとしています。何か他人の失敗を見つけたら、やたらと批判し・・・
正義感とは、結局は誰かを裁くことにつながります。他人を裁くことは、気分のいいものですが、それは恨みや怒りを買いやすいのです。それよりも、赦すことの方が、よほど相手にとって得るものが大きいのです。正義とは時代や環境によって変化します。そういった・・・
争いの元になる感情には、自分は正しくて相手が間違っている、こうした考え方がある。自分が正しいから相手が悪いはずだ、だから争いをしてでも自分の正義を貫き通す。これが、根本の間違いだ。ものごとの正邪を決める物差しなど存在しない。正邪は時代や宗教な・・・