
長財布は貧乏アイテム
財布を変えた途端にお金が増えたとしたら、世の中は金持ちだらけになるはずだ。しかし現実はそうなっていない。この点だけでも、財布とお金に因果関係がないことは明白である。金持ちを見習って「長財布」を使う人は、金持ちどころか貧乏になりやすい傾向の人なのだ
財布を変えた途端にお金が増えたとしたら、世の中は金持ちだらけになるはずだ。しかし現実はそうなっていない。この点だけでも、財布とお金に因果関係がないことは明白である。金持ちを見習って「長財布」を使う人は、金持ちどころか貧乏になりやすい傾向の人なのだ
金運が良くなる財布には効果があるのだろうか。結論から言えば、財布とその人のお金を稼ぐ能力や金運とは何の関係もないものである。お金を稼ぎ続けていると、おのずと身の回りのものにもお金がかけられて、財布もピカピカに美しくなる。
世の中には、お金の運というものが有って、何故か不思議に何もしないのにお金が出現する。そう思っている人が多くいるが、そんな事はありえない。問題は金運ではなくて、お金に対する感情にあるのだ。
金運というのは、他の運と連動している。全ては、間接的に巡り巡ってくるのであり、その結果として金運が良いとか悪いとか言われているに過ぎない。無駄なお金を使わずに収入以下で生活をし、必ず貯蓄をして、借金をなるべくせずにそのお金を投資に回していくと資産が増える
幸福に生きるには絶対にお金が必要になる。これは、誰も否定できないことだ。もちろんお金が全てということではないが、お金が無ければ不幸になることは間違いない。仮にあなたがお金に関心が無かったとしても、生活する上で必要なスーパーやコンビニ、銀行をはじめとして、あなたの周囲のほとんどは、あなたの「お金」に高い関心を持っていることは事実なのである。
善人がたくさんお金を稼げば、世の中が良くなっていく。一方で悪人がお金を多く稼いだら世の中がどんどん悪くなる。しかし残念なことに、悪人ほどお金に執着し金を稼ぐことに貪欲である。だから、善人は、お金をしっかりと稼ぎ、豊かになる義務があるのだ。
世の中は、振り子のようにある極まで動くと、その反対に戻り始める法則がある。現代の資本主義は、グローバル資本主義へと変遷しその極へと向かっている。もうしばらくしたら、徐々に反対方向へと振り子がゆり動いていくだろう。お金中心主義から、人間中心主義に振り子が移っていくことになる。
今の世界は、紛れもなく資本主義なのだが、「安定した収入」を求めて時間を切り売りして労働に生きている多くの人は「資本主義」で生きているのではなく「労働主義」で生きているということだ。誰でも気付いている通り、資本主義の上に立っている人間は誰も肉体労働をしていない。
今いるところで、最も多くの収入を得ている人が、そこの最大値でしかない。誰であっても、今歩いている道の先にあるものしか手にできない。それ以外のものが欲しければ、その道から外れることが必要になる。必要だと判断したら、少しでも早く道を変えることが重要になる。
私たちは、誰もが豊かになりたいと願っている。しかし、お金と豊かさは、決してイコールではない。お金があっても豊かに暮らせない人もいるし、お金が無くても豊かに暮らせる人もいる。多忙で忙しないビジネスの世界では、ともすれば人生のバランスを崩してしまう。お金や富といったものは、人生の修飾物でしかないのだ。