好きな仕事で豊かになって自由に生きよう

善人は金持ちになる義務がある

善人がたくさんお金を稼げば、世の中が良くなっていく。一方で悪人がお金を多く稼いだら世の中がどんどん悪くなる。しかし残念なことに、悪人ほどお金に執着し金を稼ぐことに貪欲である。だから、善人は、お金をしっかりと稼ぎ、豊かになる義務があるのだ。そして、しっかりとお金を稼いで世の中をよくする為に、しっかりと使うことだ。だから、まずはお金を稼げ。金持ちになれ。豊かになれ。そうなるように行動せよ。金を稼ぎ金持ちになることは、善人であるあなたの義務なのだ。(内田游雲)

多くの人が金持ちになりたいと思っている。だれもが、豊かに自由に生きがいを持って幸福に暮らしたいと思っているものだ。しかし、現実には、ほとんどの人がそうした生活を送れない。それどころか、普通の生活もままならずに貧困に陥っている。これはなぜだろうか。

まず最初に思い当たるのが、

「そんなことできっこない!」

そういった思い込みがあるからだ。

私たち日本人のほとんど全員が、知らないうちに「できっこない」という枠をはめられている。これは、まさに一つの価値観によって洗脳されている状態である。

その一つが、子供の頃から、いい学校にいっていい会社に就職するのが、よいという価値観だ。これは、戦後の高度成長を支えるために優秀な労働者を作り出すために刷り込まれた価値観である。私たちは、知らないうちにそう洗脳されているのだ。

では、誰がそれをやっているのだろうか。

国家は国民を洗脳する

ここに、大前研一氏の文章がある。

「日本で、詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値による選別教育が始ったのは1960年代後半の安保・大学紛争以後である。

今から考えるとあそこが分岐点であった
あの紛争で、政府は、過激な学生運動に非常に強い危機感を持った。

ここで国民教育を民化政策に転換した。
その象徴が「偏差値教育」である。

本来、人間の能力は自分で判断すべきである。
自分のやりたいことは、その判断に基づいて自分で決めること。

ところが、日本の子供たちは、自分の能力の判断をする大切な時期を偏差値に支配された世界で過ごすため、自分で自分を判断する力をなくし、やりたいことも自分ではなく、偏差値で決めることになってしまったのである。

こうなると本人も偏差値による数字を先生に言われることで予定調和して、「自分はこの程度」と簡単に思ってしまう。学校や塾で「この数値では、この学校は無理だ」と、繰り返し言われれば、目標を上にあげることなぞ無理になる。

これが、偏差値教育の持つ最大の弊害である。

これは工業化社会の確立を目指す政府には非常に都合のよい政策である。
それぞれが、能力に見合った位置で仲良く協力しあってやっていくことが必要とされるからだ。

こういう飼いならされたロボット人間が、大量に必要なのが工業化社会であって、そのために、偏差値による選別が有効に働いた。

これは、個人個人から意欲というもの、アンビションを奪ってしまったのである。

現在の偏差値世代の人たちは非常に従順な人が多い。

彼らは共通の思い込み「偏差値が高い=頭がよい」と子供の頃から植えつけられていて、そこから抜け出さないのである。
クラスメート、同級生といった狭い範囲で考えてみると、自分たちより数値の高い人が、マスコミに行ったり、役所に行っているのを見て、彼らは偏差値が高いから頭がよい。
だから、彼らの言うことは正しいと、勝手に思い込んでいる。~~」

「知の衰退」からいかに脱出するか?
 大前研一 (著)

豊かになることは神から与えられた権利だ

つまり、私たちは義務教育が始まると共に、自分の頭で考えるのをやめさせられて枠の中から出ないように、10年以上も偏差値という物差しで洗脳を続けられてきているというのだ。これは、大前氏が中曽根康弘元首相に直接聞いた話だそうですから、かなり、信ぴょう性のある話である。

つまり偏差値とは、国家が決めた価値観の枠組みに学生を押し込めてタガをはめる道具だったわけだ。これによって、私たちは自分の足で立とうとせず、決められたレールに依存しながら生きていくように教育されてしまっている。

もちろん、こんなことは、私たちに知らされる訳もなく、その結果として年金データが消失しても、老後に2000万円足りなくなりますよと言われても「怒り」を表さないような従順な国民を量産することに成功した。だから、夢を描きそれを実現しようと考える人間は皆無に近いくらい、いなくなってしまったのだ。

このような、環境においては、「自分の好きな仕事をして豊かになって自由に生きよう」などというなどという考えを持てなくて当たり前なのだ。

しかし、真実は違う。

私たちは誰でも好きな仕事を選び、やりがいのある仕事をして、充実した人生を歩むことができる。これは、私たち人間が本来与えられた能力である。

アメリカなどのキリスト教社会では、

「神から与えられた権利」

そう表現される。

まずは、この事実をしっかりと知っておくことだ。そして、この事実の上で、自分のこれからの人生をどのようにしていったら、幸福になれるのだろうかを、一度考えてみればいい。

その上で、今やるべきことや夢などをよく考えてみるべきなのだ。

豊かになることは善人の義務

これはお金に対する価値観も同様で、清貧という言葉があるように、お金を稼ぐことはいいことではない。貧しくても人の為に役立つ人間になるのが、素晴らしい人間像だと刷り込まれている。これは、もう江戸時代からだ。

士農工商の、身分制度で判るように、お金を稼ぐ商人は一番低く見られた。だから、どうしても、私たち日本人はお金を稼いだりすることに違和感を強く感じてしまうのだ。

しかし、実際には、貧しいと人の役には立てない。清貧という考え方は完全に間違っている。お金を多く稼ぐ人のほうが、より多くの人の役に立てるのだ。

そして、悪人がお金を多く稼いだら世の中がどんどん悪くなる。残念なことに、悪人ほどお金に執着しお金を稼ぐことに貪欲である。

これでは、いい世の中には絶対にならない。

善人がたくさんお金を稼げば、世の中が良くなっていく。だから、善人はお金をしっかりと稼ぎ、豊かになる義務があるのだ。そして、しっかりとお金を稼いで世の中をよくするためにしっかりと使うことだ。オレオレ詐欺なんかに負けてちゃダメなのだ。そうして、自由で豊かな生活を送ればいい。

だから、まずは稼げ。金持ちになれ。豊かになれ。そうなるように行動せよ。お金を稼ぎ金持ちになることは、善人であるあなたの義務なのだ。

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