金の正体は求めるものが投影されたもの

金の正体と本質について

私たちが金について知っているようでいて、あまり知らないと感じるのは、金があらゆるものの象徴になれるからだ。金の本質をこうした象徴と混同して感じるからこそ、金の本当の正体が見えなくなっている。しかも、ほとんどの人が、金のことを思うとき、それを手に入れる方法、使う方法、そして、貯める方法に興味を抱く。つまり、ほとんどの人は、金の本質について考察すること無く、ただ金のことばかり考えて過ごしているのである。(内田游雲)

profile:内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。中小企業や個人事業等の小さな会社のコンサルティングを中心に行う。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的コンサルティングには定評がある。本サイトの「洩天機-運の研究」は運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)

金に向き合うと身構える人々

私たちが金について知っているようでいて、あまり知らないと感じるのは、金があらゆるものの象徴になれるからだ。金の本質をこうした象徴と混同して感じるからこそ、金の本当の正体が見えなくなっているのだ。

昔、アメリカのある大学で、興味深い実験が行なわれた。この実験では、いくつかの銀行のロビーで、人々が中に入って取引する様子を観察し、表情や目の動き、仕草、行動などのデータを逐一記録したのである。その結果、ほとんどの人は、銀行に足を踏み入れると同時に、とても緊張することが判った。

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誰にも覚えがあるだろうが、銀行などのような金がたくさん集まる場所に入った瞬間、人々は非常に真剣な気持ちになるのである。

この大学の実験では、他の様々な場所でも、同様の観察をし、真剣さや敬意といった要素を探したのですが、それが銀行ほど顕著になる場所は他にはなかったのだ。銀行以外の場所、たとえば教会でも人々はそんなに身構えることはなかった。

この実験から見られるように、人々がもっとも身構える状況というのは、じつは金を扱うときだという事実から、人間は金を大変重大な関心事とみなし、崇拝に近い態度を取っているということがみえてくるのだ。

金の本質とその正体について

ほとんどの人が、金のことを思うとき、金についての考え方には意識を向けることはなく、それを手に入れる方法、使う方法、そして、貯める方法に興味を抱く。つまり、ほとんどの人は、金の本質について考察すること無く、ただ金のことばかり考えて過ごしているのである。

あなたの財布から10,000円札を抜き出してよく見て欲しい。

そこには、何が見え、そして、何を感じるだろうか?
手で持っている紙が、金の本質だと思うだろうか?

10,000円札を手に持ったとき、どんな感情が沸き起こるのか?
その感情を引き起こしているものは何だろうか?

10,000円札を見ると、瞳孔が開くのはなぜだろうか?
たった一枚の紙切れがそんな多くの感情を、なぜ引き起こしているのだろうか?

確かに、最も基本的な点は、金は一つの「モノ」だということだ。そして、情報があふれる現代では、私たちはこのモノである金について十分理解しているつもりになっている。

大抵の人が、金を投資し、利息を計算し、お釣りが合っているか確認することができる。そして、ほとんどの人は、金が単なる紙や金属のようなモノだと思っているが、現実には、それはまったく違うのだ。

周りを見渡せば、銀行や投資会社、金融アドバイザー、テレビの番組、そして、金に対する、たくさんの専門家で溢れている。本来は、「モノ」である金のために、いくつもの産業が成り立ち、豊富な知識を提供してくれている。

しかし、なぜか私たちは、いまだに金で苦労しているのだ。

金はあらゆるものの象徴になる

「金」という紙や金属は、一定の価値を表す象徴に過ぎない。そして、金の真の姿を理解しにくいのは、金が、あらゆるものの象徴になっているからである。

金は、私たちが憧れ、望み、一方で怖れているものや、自分が持っていない物の代わりになる。欲しがり、必要とし、見下し、追求し、信じるものの代用品になっている。

また、金で成功を測り、幸せを買い、あるいは買おうとする。「金」という紙や金属は、本来は力を持たない物体であるはずなのに、私たちがそれらに力を与えてしまっている。

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また、「金」という紙や金属を特別なものにしているのは、私たちが他の人たちと合意を交わしているからだ。

ただし、ここで注意をしておくべきことは、「金」を円やドル、ユーロといった通貨と混同しないことだ。通貨には衣服や食物や住居のような、固有の価値はない。通貨は、せいぜい、それが通用する国にいる限り価値のあるものと交換できる程度である。

金を通貨とみなすと、重要な本質を見落としてしまうことになるので注意が必要なのである。

金の正体とは実在しないもの

紙幣や硬貨は金そのものではない。確かにこれらは、金を表している。しかしそれ自体は、金ではないのだ。

金とは、その物体の根底にあるものを意味している。この根底に潜んでいるものこそが金の本当の正体なのだ。

では、その根底にあるものとは何だろうか?

金の正体とは実在しないもの

じつは、これを誰も見つけることはできない。なぜならそれは存在しないもの、つまり「無」なのである。

じつは、金の正体とは、求めるものが投影されたものだ。投影されたものだから、それは影に過ぎず、実体は存在しない。

私たちは、存在しないものを欲しがり、恐れ、憧れを抱いているだけなのである。つまり、金の正体とは人の求めるものが投影された、何らかの象徴でしか無いということである。

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