人生に迷った時におすすめのバカボンのパパの生き方
私は本が好きでよく読むのだが、そんななかでも、ドリアン助川さんの書いた『バカボンのパパと読む「老子」』がお気に入りだ。「老子」の一説に次のような文がある。「為学日益、為道日損、損之又損 以至於無為、無為而無不為」学問をすれば、日々学ばなければならないことが増えていき、道を修めれば日々行動が減っていく。減らした上にさらに減っていくので、何も為さないところにさらに至る。今風に言うなら「人生は働いたら負けなのだ」いやあ、バカボンのパパは 深い(内田游雲)
profile:内田游雲(うちだ ゆううん) ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。中小企業や個人事業等の小さな会社のコンサルティングを中心に行う。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的コンサルティングには定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)
バカボンのパパは実はすごい
私が本が好きでよく読むのだが、特に好きで読む本がある。
どんな本を読むかというと、「老子」「荘子」「孫子」
w( ̄▽ ̄;)wワオッ!!
こんなんばっかり読んでいる。
|||||/( ̄ロ ̄;)\|||||||
まじ~~?
そんな中でも、ドリアン助川さんの書いた
『バカボンのパパと読む「老子」』
がお気に入りだ。
子供の頃に読んだり、アニメで見た バカボンは、ただのアホ。
くだらないギャグ漫画に見えてい。
しかし、 しかしである、 「バカボン」は漢字でかくと「婆伽梵」、または「薄伽梵」と書く。
意味は「煩悩を超越した徳のある人」 ということだ。
((= ̄□ ̄=;))ナ、ナント!!
この言葉は、優れた貴い人に用いられる。
「バカボン」は梵語=サンスクリット語で、正しい発音は「バギャボン」、私たちの使う「バカ」は「馬鹿」と 普通は書くがこれは当て字である。
「莫迦」ないしは「摩訶羅」と書く。
梵語で「無知」という意味だ。
ちなみにレレレのおじさんも、釈迦の高弟・チューラパンタカ (周利槃特=しゅりはんどく)。
チューラパンタカは掃除で覚りを開いた。(掃除は、じつはとても大事な修行だ)
仕事はしすぎないこと
さて、「老子」に話しを戻すとその一説に次のような文がある。
為学日益、為道日損、損之又損 以至於無為、無為而無不為
学問をすれば、日々学ばなければならないことが増えていき、道を修めれば日々行動が減っていく。
減らした上にさらに減っていくので、何も為さないところにさらに至る。
つまり、何かを、しよう、しようとすると、かえって、やるべきことが増えて忙しくなり、大事なことができなくなる。
さて、「老子」に話しを戻すとその一説に次のような文がある。
為学日益、為道日損、損之又損 以至於無為、無為而無不為
学問をすれば、日々学ばなければならないことが増えていき、道を修めれば日々行動が減っていく。
減らした上にさらに減っていくので、何も為さないところにさらに至る。
つまり、何かを、しよう、しようとすると、かえって、やるべきことが増えて忙しくなり、大事なことができなくなる。
これは、占術の基本となる「気」の観点から見ても正しいことで、人間は忙しくしすぎると、かえって気を浪費してしまい、成果につながりにくくなるものなのだ。
これは自分にもよく言い聞かせるのだが、
「ああ、仕事をしすぎている」
「仕事することで却って余分な仕事を増やしている」
「もっと楽をしなければいけない」
じゃあ、仕事をしなければいいのだ。そうだそれでいいのだ。今風に言うなら
「人生は働いたら負けなのだ」
いやあ、バカボンのパパは 深い・・・
人間はこれでいいのだ
ちなみに、『谷川俊太郎エトセテラ リミックス』には、バカボンのパパとのコラボレーションで、次のような詩がある。
自分トフタリッキリデ暮ラスノダ
自分ノパンツハ自分デ洗ウノダ
自分ハ自分ヲ尊敬シテイルカラ
ソレクライナンデモナイノダ
自分ガニコニコスレバ 自分モ嬉シクナッテニコニコスルノダ
自分ガ怒ルト自分ハコワクナルノデ スグニ自分ト仲直リスルノダ
自分ハトッテモ傷ツキヤスイカラ
自分ハ自分ニ優シクスルノダ
自分ノ言ウコトサエキイテイレバ 自分ハ自分ヲ失ウコトハナイ
自分ハ自分ガ好キデ好キデタマラナイ
自分ノタメナラ生命モ惜シクナイ
ソレホド自分ハスバラシイノダ
これでいいのだ。
毎日がエブリデイなのだ。