不幸な出来事がむしろ幸運であることもある
大きな困難に見舞われて不幸な目に遭わされても、後から見れば大きな転機となっていることが多々あるものだ。反対に、信じられないほどの幸運であっても、人生の罠である場合もある。たいていの場合、今が大変であればあるほど大きな未来が待っているものだ。
大きな困難に見舞われて不幸な目に遭わされても、後から見れば大きな転機となっていることが多々あるものだ。反対に、信じられないほどの幸運であっても、人生の罠である場合もある。たいていの場合、今が大変であればあるほど大きな未来が待っているものだ。
予想もしない問題が起きた時、それは人生の岐路に立っていたということがある。これは後から気が付くのだが、振り返ってみるとそこでのヒントや行動が後の大きな発展につながっていたりする。
人生は波のようなものである。高くなったり低くなったりする。しかし、その転換点は、ほんのちょっとしたきっかけであることが多い。もし今、波の底にいるようならば、いろいろ試してみることだ。その中の何かがきっかけとなって大きく転換するかもしれない。
人生は、落ちる時には坂を転がるように落ちて行くものである。私は過去に事業で酷い失敗をして、人生のどん底に落ちたと感じたことがある。しかし、これは、一瞬にして、落ちたわけではない。振り返ってみれば、そこに至るまでは何年もかかって落ちているのだ。
チャンスは、往々にして困難という衣をまとっている。この困難や障害に目を奪われ恐怖に負け、感情的になって訪れたチャンスに気づかずに逃してしまう人が多い。困難や障害の裏側には、たいていそれに見合うだけのチャンスが隠されている。
チャンスが訪れると、何もかもすべてが上手くいくと勘違いしている人がいる。しかし実際には完璧なチャンスなどめったに訪れない。むしろチャンスは次の段階まで進むようなものが多い。
他人の思惑に左右され、本当のやりたいことを後回しにする。そんな生き方を多くの人が強いられている。それでは、自分の人生を生きているとは言えない。先延ばしにしてきたことが何であれ、今、それをやると決心するべきである。
人生には節目となる転機が何度か訪れる。そして、こうした人生の転機は、ほとんどの場合辛い状況になる。つまり、人生の転機では、どうしようもないくらいの酷い目に遭うものなのだ。だから、辛い状況に陥ったら人生の転機と考えることだ。