心配事のほとんどは起きない
どうでもいいことを心配する人が多くいる。こうなったらどうしよう。ああなったらどうしよう。さらに大きいところでは、人類が滅亡したらどうしよう。多くの人がどうでもいい心配を毎日のようにしている。しかし、こうした心配のほとんどが、現実には起きないのだ。
どうでもいいことを心配する人が多くいる。こうなったらどうしよう。ああなったらどうしよう。さらに大きいところでは、人類が滅亡したらどうしよう。多くの人がどうでもいい心配を毎日のようにしている。しかし、こうした心配のほとんどが、現実には起きないのだ。
人間は自分に対して言い訳をするのがとても上手だ。何か欲しい物があるとあったら便利だからとか、安いからなどと言い訳をする。こうして、ただ欲しいだけ、金を使いたいだけという理由が、必要性としてすりかえらる。
人の感情の中でも特に無意味なものの一つが、心配するということである。それは優しさの現われだったり、不安から来るものだが、心配することからは何も生み出さない。ただ、心が右往左往して不安に振り回されるだけだ。
人間の器や格は、予定通り物事が進んでいたのでは、よくわからないものである。突発的な出来事、予定外の問題に遭遇したときに初めて垣間見えるものだ。普段偉そうにしていたり、自分は凄いのだという人ほど、器の小ささにびっくりする。
自分が傷つくことや恥をかくことを極端に怖れる人がいる。しかし、生きていくうえで傷つかないことも恥をかかないこともありえない。だから決して怖れる必要はない。堂々と正面から向かっていくだけでいいのだ。
多くの人は決断ができないこれは無理ないことだ。決断とは何かを選ぶことで、それ以外を捨てることだからだ。だから迷うし後から後悔もする。何かを捨てない限り新しいものは掴めない。決断することは怖いことだが、やらないと新しい道へも進んでいけなのだ。
先のことを考えることは、いいことのように思える。しかし、これは妄想に過ぎない。考えているようでいて不安の為に思考が堂々巡りしているだけに過ぎないのだ。それよりも、今すべきことをやり、今考えるべきことを考えることだ。
人の足を引っ張ったり悪く言うと自分のところに跳ね返ってくる。他人を尊重し敬意を表することで初めて自分も大事にされる。価値についても同じだ。何でも値切ればいいわけではない。値切ることによって相手の価値を下げると、必ず自分の価値を値切られることになる。
世の中には物を溜め込んで捨てられない人がいる。こういう人は物だけではなく物にへばりついている記憶も引きずっている。過去の記憶や感情に囚われて何度も何度も反芻し同じ感情を繰り返しているのだ。過ぎ去った過去に引っかかると新しい一歩が踏み出せなくなる。
人はなかなか自分の失敗を認められない。それは自分の中のプライドが傷つくからだ。しかし。失敗を隠したままだとかえって傷口が大きくなる。失敗したときは、素直にその失敗を認め、対策を立てることだ。こうしたことをスムーズにできると大きな火傷を負わずに・・・