愛は「求める」ものではなく「与える」もの
恋愛が上手くいくコツは、相手にどれだけ喜びを与えられるかである。与えることを、他の言葉でいいかえると「愛」となる。本当の愛は、「求める」ものではなく、「与える」ものだ。自分が相手に惹かれる気持ちを勝手に「愛」だと誤解し、その思いを相手にぶつけるような愛情表現をすることは、同じ愛でも自己愛となる。惹かれる気持ちがあっても、それは愛とは違うのである。(内田游雲)
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内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングや人生のコーチングを専門に行い、30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は、運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)
それは本当に愛なのか?
どうも日本人は恋愛が下手なようだ。
恋愛が上手くいくコツは、相手にどれだけ喜びを与えられるかである。与えることを、他の言葉でいいかえると「愛」となるのだ。本当の愛は、「求める」ものではなく、「与える」ものなのである。
喜びを与えれば、愛が与えられることになる。しかも、喜びは無限だから、与えれば与えるほど受け取る愛も多くなるのだ。
典型的なのが、好きな人に「求める」ことが、恋愛だと勘違いしている人だ。そういう愛を求めるタイプは、相手に自分の魅力をアピールし、「認められよう」「受け止められよう」としがちである。そして、受け入れられなければ怒りだす。
これでは、相手の心を掴めるわけもない。それで、部下の若い子を連れて、キャバクラに行って、俺も昔はモテたぜ「がはは・・・」。なんてやっている。
いや、それモテてませんよ。
恋愛を勘違いしている
こうした場合の典型的なパターンが、
例えば、
「自分がここまで相手のことが好きで、
心を許しているのだから、
相手にもそれが伝わるはず!」
なんて思っていたりすることだ。こういうタイプが、定年後に、退職金奥さんに分捕られて、離婚されることになる。これらは全部、自分目線の話だ。
相手が自分に好意を抱いていなければ、相手にとってあなたがどう思っているかなど、どうでもいいのである。
自分が相手に惹かれる気持ちを勝手に「愛」だと誤解し、その思いを相手にぶつけるような愛情表現をする中年を過ぎた男性がかなり多い。しかし、それは、同じ愛でも、自己愛になる。
こういった愛をパスカルは自己愛と呼んだ。仏教の世界では自我という。惹かれる気持ちがあっても、それは愛とは違うのである。
自分の為に相手の心が欲しいと思っている分には、自分への愛なのである。
恋愛はまず与えることから
本当の愛は、「求める」ものではなく、「与える」ものだ。
「相手を喜ばせたい」
「相手を幸せにしたい」
こうした気持ちが芽生えてこそ、相手の心を惹きつけることになるのだ。
どうすれば、彼女に喜んでもらえるのか?
考えるべきことは、その一点だけでいいのだ。人間の最大の喜びは、誰かの役に立つことにある。だから物やお金を得る幸せより、誰かに何かをしてあげるほうが幸せ度は大きくなるのである。
恋愛の幸福度が最大となるのは、ここに理由がある。
好きな相手に喜ぶことをしてあげて、その結果自分が幸福になる。与えられることを待つよりも、何ができるかを考えて、与える側になることが幸福になるためのポイントだ。
しかし、ほとんどの人が相手が何かをしてくれることを待ち望んで、自分が与えることを忘れてしまう。与えることこそが幸せのコツなのである。
愛を与えるから与えられる
そんな綺麗事をいっても、結局は、上手くいかないと思う人もいるかもしれない。しかし、喜びを与えれば、喜びが与えられる。これが真実だ。
恋愛が上手くいくコツは、どれだけ喜びを与えられるかだ。与えることを、他の言葉でいいかえると「愛」となる。
愛を与えれば愛が与えられる。しかも、与えれば与えるほど受け取るものも多くなる。これは真に与えなければ、意味がない。与えるフリをして奪っていれば、それは、すぐに自分に返ってくることになる。
恋愛とは誠心誠意与え尽くす事なのである。