永遠の愛も必ず変わってしまう

中年を過ぎた男女の恋愛における立ち位置について

中年を過ぎた男女の恋愛において大切なことは、とにかく深追いをしない事である。これは、付き合っている相手が別れたくなったら、後腐れなく直ぐに別れるということだ。今の相手に執着しないで、さらりとした恋愛関係を作ることである。本来恋愛は、君子の交わりと同じであるべきだ。特に、中年を過ぎた男性の目指すべき恋愛は、「上善水如」である。(内田游雲)

profile:内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。中小企業や個人事業等の小さな会社のコンサルティングを中心に行う。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的コンサルティングには定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)

深追いをするからトラブルに巻き込まれる

中年を過ぎた男女の恋愛において大切なことは、とにかく深追いをしない事である。これは、付き合っている相手が別れたくなったら、後腐れなく直ぐに別れるということだ。

もちろん、相手が望めばいつまで付き合ってもかまわないが、年の差があると相手に若い相手が出現する可能性がある。

こうした時に、すっと手をはなしてあげること。
これが重要である。

今の相手に執着しないことが大事なのだ。とにかく、さらりとした恋愛関係を作ることである。中年を過ぎた男女の恋愛は、自分は通りすがりの一人でいいという諦観が大事になる。

そうしないとトラブルになったり、酷い時には刃傷沙汰に発展しがちになるものだ。

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男女の愛は無常である

残念なことに、変化しないものなどこの世の中には存在しない。一見、永遠に見えるものでさえ、時間の経過と共に必ず変化してしまうのだ。これは、物であれ、環境であれ、人の心であれ、変化しないものは、この世界には存在しないのである。

その昔お釈迦様は、2つの大発見をした。
それが、「諸行無常」と「諸法無我」といいう二つである。

そのうちの一つ「諸行無常」が、世の中のすべてのものは変化していくということだ。そして、変化しないものは、この世の中には、決して存在しないということである。

勢いのあるものはいつかは衰えるし、勢いの出てきていないものもいつか良くなる。蒔いた種が発芽するのも常ではないし、花が実を結んで枯れていくのも常ではない。

人の心も、愛さえも、必ず変わってしまうものなのだ。
あれほど情熱的に永遠の愛を誓ったはずなのに、それは必ず変わってしまうのである。

いい事も悪いことも続かない

必ず変化するということは、決して悪いことではない。

もし、あなたが今、ものすごい不幸に見舞われているとしよう。たとえば、破産して、借金取りに追われ、家族と離散し、独りぼっちになってしまって、さらに、重病になってしまった。

しかし、こうした状況すらも必ず変わっていくのだ。時間と共に必ず変化していく。変化するということは、ある意味、祝福なのである。

逆に、ものすごい幸運に恵まれて、幸せの絶頂になったとしても、それは、必ず変わってしまう。変化をどれだけ怖れても、どれだけ変化しないように頑張っても、それは、必ず徒労に終わるしかない。すべては必ず変化していく。

そうであるならば、進んでこの変化を受け入れたほうが苦しまなくてすむ。変化を恐れ、変化しないようにまた、周りも変化させないように一生懸命努力したり逆らっても、結局は、何の意味も持たないばかりか、むしろ余計な苦しみを味わうことになってしまうのである。

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あなたは時間と共に老いていく

仮に、あなたが50代で、相手が20代だったとする。そうすると、10年経てば、あなたは、60を過ぎて老いが目立ってくるのに対して、相手は30代。女性として最も輝く年代になる。当然二人の関係は変化していかざるをえない。

しかし、変化するからこそ、人生は楽しいし希望がある。たとえ今が、苦難の状態であっても、それは、永遠ではない。今、お互いに愛し合っていても、それは永遠ではない。人の心も、世の中も、時代も、すべて変化をしていく。

相手の気持ちが変われば、それもまた仕方がない。どのみち、それは変化してしまう。そうであれば、自らその変化することを楽しむことだ。それを無理に、執着するから苦しくなるし、みっともない姿をさらすことになる。

特に、中年を過ぎてくると、これまでの経験からくる自信なのか、相手の心変わりに対して、プライドを傷つけられ激怒する人がいる。しかし、これは、ただの執着だ。それも、相手の心に対してではなく、自分を傷つけたという怒りなのだ。

中年を過ぎた男女の恋愛は「上善水如」

「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」

これは、「荘子」の『山木篇』にある言葉である。

荘子は、

「物事をよくわきまえた人の交際は水のようだ」

と述べた後に続いて

「つまらぬ小人物の交際は、まるで甘酒のように甘く、ベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招きやすいものだ」

こう述べている。

恋愛に関しては、どうしてもこのベタベタした関係になりがちだが、それは良いことではない。本来恋愛は、君子の交わりと同じであるべきだ。

一方で老子は次のように述べている

「上善如水」

最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとした。

特に、中年を過ぎた男性の目指すべき恋愛は、この「上善水如」である。

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