
幸福度は感受性に比例する
世の中には小さな出来事で大きく幸せを感じれる人もいれば、どんなに素晴らしいことがあっても、あまり幸福を感じることのできない人がいる。幸福の度合いはその人がどれだけ感じられるかだ。だから感受性の豊かな人ほど幸福に生きることができる。
世の中には小さな出来事で大きく幸せを感じれる人もいれば、どんなに素晴らしいことがあっても、あまり幸福を感じることのできない人がいる。幸福の度合いはその人がどれだけ感じられるかだ。だから感受性の豊かな人ほど幸福に生きることができる。
自分が傷つくことや恥をかくことを極端に怖れる人がいる。しかし、生きていくうえで傷つかないことも恥をかかないこともありえない。だから決して怖れる必要はない。堂々と正面から向かっていくだけでいいのだ。
奇跡というと神とか天使とかという、超自然的な存在を考えてしまいがちだ。しかし奇跡というのは、絶対にありえないことが起きることではなく、可能性の中で稀に起こることなのである。人間は、不安を持つ生き物で、つい超常的な力を信じたくなる。
誰もが愛されたいと心から願うのだが、愛されたいという思いが、強くなればなるほど愛されなくなる。誰もが愛されたいと願っているために、愛を与える人が少ないのだ。こうして愛を求めれば求めるほど、愛は遠くに逃げていくことになる。
多くの人は決断ができないこれは無理ないことだ。決断とは何かを選ぶことで、それ以外を捨てることだからだ。だから迷うし後から後悔もする。何かを捨てない限り新しいものは掴めない。決断することは怖いことだが、やらないと新しい道へも進んでいけなのだ。
先のことを考えることは、いいことのように思える。しかし、これは妄想に過ぎない。考えているようでいて不安の為に思考が堂々巡りしているだけに過ぎないのだ。それよりも、今すべきことをやり、今考えるべきことを考えることだ。
人の足を引っ張ったり悪く言うと自分のところに跳ね返ってくる。他人を尊重し敬意を表することで初めて自分も大事にされる。価値についても同じだ。何でも値切ればいいわけではない。値切ることによって相手の価値を下げると、必ず自分の価値を値切られることになる。
金と人生というのは切っても切れない関係にある。金についての考え方はそのまま生き方に現れるのだ。特に金の使い方には生き方がそのまま出現する。劣等感の大きな人は金でその劣等感をカバーしようとする。怒りをいつも持っている人は怒りに任せて金を使う。
世の中には物を溜め込んで捨てられない人がいる。こういう人は物だけではなく物にへばりついている記憶も引きずっている。過去の記憶や感情に囚われて何度も何度も反芻し同じ感情を繰り返しているのだ。過ぎ去った過去に引っかかると新しい一歩が踏み出せなくなる。
最近の傾向で何でも早いほうがいい、という風潮がある。そのせいか多くの人が、待つことが苦手である。しかし、すべての物事には、適切な時機というものがある。だから、じつは待つということは、最も重要なことの一つなのだ。ところが待つことができず結局失敗・・・