
あったら便利は無くても大丈夫
人間は自分に対して言い訳をするのがとても上手だ。何か欲しい物があるとあったら便利だからとか、安いからなどと言い訳をする。こうして、ただ欲しいだけ、金を使いたいだけという理由が、必要性としてすりかえらる。
人間は自分に対して言い訳をするのがとても上手だ。何か欲しい物があるとあったら便利だからとか、安いからなどと言い訳をする。こうして、ただ欲しいだけ、金を使いたいだけという理由が、必要性としてすりかえらる。
人には誰にも欠点がある。そして、ほとんどの場合、この欠点を直そうと必死になる。しかし、所詮人間は完璧にはなれない。どんなに努力しても、それはかなわぬ願いなのだ。それよりも、欠点を自覚し、受け入れることの方が大事だ。
仕事であれ、趣味であれ、何かを得るたり成果を出す為には、夢中になって情熱を傾ける必要がある。逆に言うと成果が出ないのは、情熱の注ぎ方が足りないのだ。結果が出ないと悩む前に、まず結果が出るだけの情熱を注いでいるかを見直すことだ。ほとんどの場合、・・・
人の感情の中でも特に無意味なものの一つが、心配するということである。それは優しさの現われだったり、不安から来るものだが、心配することからは何も生み出さない。ただ、心が右往左往して不安に振り回されるだけだ。
誰もが不足を補うために頑張って働き努力をする。しかし、これではいつまでも幸せにはなれない。もっともっとと、考えるのが人間の常だからだ。不足に焦点が当たっているうちは、常に欠乏感に苛まれる。大事なことは、「知足」つまり、足るを知ることである。
願っていたことと違うことが起きることが、人生にはよくあるものだ。しかし、その願っていたことの本質をよく考えてみると、かえって願いに近いことがある。表面的な事実にだまされるのではなく、本当に望むことが何かを一度考えてみることだ。
なぜか幸運に出会うと怖れる人が多い。そんなばかなと思うかもしれないが、大きな幸運が訪れると「そんな訳は無い」とか「これは何かの落とし穴かもしれない」とか「いいことばかり続くわけが無い」などと勝手に思い込むのだ。
とてつもない業績やとてつもない発明は、誰かがそれを夢見たところから始まっている。どうせできっこないと考えてしまったらそれは無かったのだ。文明の夜明け以来、社会の進歩は全て誰かの夢によってもたらされてきた。
金の使い方のうちもっとも危険なのが、何となく使うという状態である。現代社会においては、知らず知らずのうちに大金を浪費させるような仕組みがあちこちに存在する。月々○○円という言葉で、結果的についつい大金を使わせるようになっている。
人間の器や格は、予定通り物事が進んでいたのでは、よくわからないものである。突発的な出来事、予定外の問題に遭遇したときに初めて垣間見えるものだ。普段偉そうにしていたり、自分は凄いのだという人ほど、器の小ささにびっくりする。