金運を上げるにはお金について勉強すること

金運を上げる無所有の思想

私はよく、お金はしっかりと稼ごうという話をしています。

しかし、クライアントが占術家の私に期待するものは、たいてい金運を良くして欲しいと考えています。
しかし、現実の話として、何もしないでお金が流れ込んでくることはありません。

お金は、必ず何らかの行動の結果として手に入るものだからです。

だから、現実的に豊かになるためには、

「お金についての知識を勉強する必要がある」

こういった話をするのです。

ここでいうところのお金の知識とは、お金の運用や投資などといったテクニカルな部分もそうですが、お金に対する思想も含まれているのです。

それでは、

「そもそも豊かであるということは、
 どういうことなのでしょうか?」

「金運がよいという状態は
 どういうことなのでしょうか?」

私自身いつも自分に問いかけるのですが、これが本当に難しいのです。

金運のいい人とはどういう人か

これは、あくまで私見なのですが、本当の豊かな人、金運がいい人、つまり「富者」とは、「自由」を完全に持っているということではないかと感じます。

それは決して、「金銭」や「所有品」を沢山持っている人ではありません。

このことを理解できない人が多いために、富めば富むほど自分の心がその富に縛られて奴隷となり、かえって屈従の生活を送りながら、自分を富者だと思っている人がとても多いのです。

六本木や銀座でドンペリ空けながら、どんちゃん騒ぎしていても、いつかそれを失うのではないかと恐怖して、それを忘れたくてよけいに騒いでいるようなことです。

実際に、TVに出てきて話題になった人のほとんどが消えています。
大きく成功するということは、その後失敗して転がり落ちるところまでがセットになっていたりするのです。

ちなみに、ドンペリは、ビンテージじゃないとそれほどおいしくありません。
キャバクラやパブなどで出てくるのは飲みたいと思わない代物です。
それよりも2,000円くらいのカヴァのほうが美味しいのがいっぱいあります。

仏教における無所有の教え

その話は置いておいて、つまり、「物を所有する利益」は「所有するために心が引っかかって自由を失う不利益」によって相殺されがちなのだということです。

「無所有」ということが仏教で尊ばれるのもそのためです。
ここでいう「無所有」というのは「貧乏」ということではありません。

「貧乏」な者は、また「貧乏」を心に掴んで苦しむことになります。

「貧乏」をつかまず、「富」をつかまず、欲するにしたがって、必要なだけおのずから自由に集まってくる。

こういった状態が真の豊かさなのだと思うのです。
そして、これこそが金運がいい状態なのです。

聖書に出てくる、「心の貧しきものは幸いである」というイエスの言葉は、この「無所有」と相通ずるものがあります。

それは、決して「貧乏」ということではないのです。

持つは持たれるということ

「持つ」ということは、「持たれる」ということでもあります。
持つと、逆に持ったものに捕まるのです。

「お金」を持つと、「お金」に持たれて捕まってしまいます。
「お金」に捕まってどこまでもお金を欲しく成ったり、「お金」を失うことに大きな恐怖を感じるようになります。

今度は、何も持たないと頑張ると「無」に持たれることになります。
「無」に持たれると、全てのものを否定し、豊かであることを否定することになります。

そうなると、貧しい事を礼賛するようになっていきます。
これはどちらもおかしいのです。

あなたの仕事は誰かの為にある

あなたが仕事を行うのは、決して生活費の為とかお金を稼ぐ為とか、自分が贅沢をする為だけにあるのでは無いのです。

仕事とは、誰かの為の行為です。

しかしながら、明日の支払いができなければ、破産するという現実もそこにあります。

そこで、「無所有」なのです。

お金が必要なのは判っているけど、それにとらわれない。
お金が無いという恐怖を掴まない。
すると、恐怖を掴まないから、かえって豊かになります。

金運がいい状態というのはこういったものなのです。

欲するにしたがって、必要なだけ自ずから自由に集まってくる。
こういった状態が、生まれてくるのが金運なのです。

そして、ここを目指すのが、現実的な行動をすることなのです。
つまり、お金を稼ぐという意味なのです。

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