
言葉が通じないことがあたりまえの時代
今の時代の特徴は、誰もがスマホを持って自分の音楽を始終聴きながら、他者とのコミュニケーションを拒否している点にあります。電車やバスに乗っても、ほとんど全員が、スマホを見つめています。
コミュニケーションが困難に
そんな状態が続き、個人の嗜好の世界が確立していくにつれて、現代では、コミュニケーションの問題が起きてきます。
言葉というものは、基本になる部分を除いて、それぞれの分野の独特の表現が存在し、個人間の会話においては、それぞれの嗜好の分野の言葉が使われるものです。そのため、自分の興味のない分野の言葉が理解できずに、同じ嗜好の者同士以外とのコミュニケ―ションが困難になってしまうのです。
つまり今は、同じ嗜好を持つ者同士の会話が成り立つのに対し、それ以外の嗜好の持ち主とは、会話が成り立ちにくいという時代になっているのです。
例えばゲーム内で使われる言葉を普段から使っている人の言葉は、ゲームをやらない人に取ってみると、外国語にしか聞こえません。
同じように音楽の、ある分野だけの言葉も外国語でしか無いのです。

もともと、日本に標準語ができたのも、方言同士だと言葉が通じないからです。同じように、今は個人的嗜好の方言が増えてきて、通じなくなっていているということなのです。
世界はコミュニケーションで成り立つ
この世界はコミュニケーションで成り立っています。全ての情報は、言葉によって伝えられていますので、その言葉が通じないということは、あらゆる情報が正確に伝わらないということです。
これは、ビジネスにおいても同様です。
世の中の全てのセールスは、言葉によって行われます。動画や画像なども、非言語の言葉と言えるものです。だから、全てのセールスは、言葉の上に成り立っているといってもいいものです。だから、ビジネスなどでセールスを行う場合には、このコミュニケーションの壁を乗り越えて行く必要があるのです。
通常、このコミュニケーションとは、 共通の言語によって行なわれますが、その共通理解が減ってくると、お互いが何を言ってるのかが 理解できなくなっています。

つまり、それが物が売れない原因の一つといっていいのです。言葉のわからない相手から、いくら熱心に説明されても、そもそも理解もできないし、ただ煩いだけになってしまうのです。
世代間から個人間の嗜好ギャップへ
以前は、こういった言葉の認識の違いは、世代間ギャップなどと いわれていたわけですが、今では、それは嗜好のギャップとなっています。
それぞれが、自分の嗜好の世界にどっぷりはまっているため、その世界の言語がコミュニケーションの中心になります。同じ嗜好を持つ同士であれば、共通言語で話ができますが、一歩そこから離れてしまうと、会話が成り立たなくなってしまうのです。
私たちは、コミュニケーションを 言葉で行なっていると思っていますが本当は、それぞれの持っている世界を 通して言葉を聴いているに過ぎないのです。
それぞれの世界の中に、独特の共通言語があり、それを基にコミュニケーションが成立します。だから、例えば、私がこうして書いている文章も、受け取る人によって●に感じたり、▲に感じたりしてしまうのです。
自分の言葉は他人には通じない
そうなると自分の考えを一生懸命伝えようとしても、それは、まったく通じないのです。ここに気がつくと、言葉の本質が見えてきます。
そもそも、言葉とは、誰のためのものでしょうか?
私たちは、つい、自分のために言葉を使ってしまいます。

しかし、言葉とは、本当は受け取る人のためのものです。自分の為にであれば、言葉を発する必要はありません。言葉とは、受け取る相手のための ものなのです。
しかし、私たちは、相手のことを考えて、相手の環境や、感情、思考を考えて言葉を発することはありません。だから、言葉が通じなくなるのです。
その通じない言葉で、一生懸命に話し、相手が理解しないと腹を立てる。こんなことは、あまりにもばかげています。言葉は通じないのが当たり前なのです。
まずは相手の言葉を理解する
だったら、まず言葉を理解することです。
コミュニケーションを取りたい相手に関する知識を収集して、使われている言葉をしっかりと理解することです。これをしないで、いくら頑張っても言葉が通じないのですから、効果が出るはずもありません。
これは、つまり、マスに向けての広告の効果が出なくなったこと意味しています。TVCMなどを使って、日本全国に広告を流したとしても、理解できない人がほとんどの世界ですから、当然といえば当然なのです。
今商品が売れるのは、小さなコミュニティーに対して発信した場合だけです。それは、つまり、特徴にある商品を小ロットだけ売るというビジネスということになります。今は、小さなビジネスの時代というのは、こういうことからも見て取れるのです。