奪えば奪われるし与えれば与えられる

受け取れ、さらば、与えられん

与えることと、受け取ることのどちらが、より立派な事だと思っているだろうか。多くの人は、与えるほうだと思うかもしれないが、それは、間違いである。何かを与えるためには受け取ってくれる人が必要になる。与える人も受け取る人も同等の世界だ。お互いに与え合うことで、喜びと幸福がお互いに増幅していくのが人生の真髄である。(内田游雲)

profile:内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。小規模事業や個人事業等の小さな会社のコンサルティングを専門に行い、30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的コンサルティングには定評がある。本サイトの「運の研究-洩天機-」は、運をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解し経営を考える「気の経営」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)

「受け取る」と「与える」はバランスする

あなたは、与えることと、受け取ることのどちらが、より立派な事だと思っているだろうか。多くの人は、与えるほうだと思うかもしれないが、それは、間違いである。

この世界においては、受け取ることを拒否すれば、本来与えられるべきものが減ることになる。受け取ると与えるは、じつはバランスする。つまり、受け取ることを承認した分だけが、与えられるようになるのだ。

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しかし、多くの人が、なぜか、自分よりも、他人に対して寛大であるべきだと思い込んでいる。つまり、受け取ることを少なくして、与えるほうが多いほうがいい。こう思っているのだ。

「与えよ、さらば与えられん」

これは、聖書(ルカによる福音書第6章)にあるキリストの言葉である。自分が何かをして欲しければ、まず与える。奪えば奪われるし、与えれば与えられる。これがまぎれもない真理である。

こうすることで自然とあなたのところに富と成功が流れ込んでくることになる。

求めることの反対をせよ

キリスト教では、さらに次のようにいう。

「まず、収入の10分の1を神に供えよ」

成功の法則の最初がまず与えることなのだ。

また、老子も次のように言っている。

「まさにこれを翕(ちぢ)めんと欲すれば、
必ず姑(しばら)くこれを張る。
まさにこれを弱めんと欲すれば、
必ず姑くこれを強くす。
まさにこれを去らんと欲すれば、
必ず姑くこれに与(くみ)す。
まさにこれを奪わんと欲すれば、
必ず姑くくこれに予(あた)う。」

            『老子』より

「縮めようとするなら、まず伸ばしてやる。
弱めようとすればまず強めてやる。
追い出そうとするならまず味方に引入れる。
取ろうとするなら、まず与えてやる。」

まさに、これは法則だといっているのである。

求めることの反対をせよ

老子というのは、徹頭徹尾、現実主義者であった。孔子が仁という理想を説いたのに対して、老子の思想は、現実社会をどのように生きるほうがいいかを説いている。その老子がまず、求めることの反対をせよと言っているのだ。

ぜひ、一度、この言葉を考えてみることだ。新しい、見方が生まれてくるだろう。

商売においても同様で、お客を最初に動かすエネルギーは、あなたができることをまず相手に与えることだ。ここがすべての始まりである。

しかし、残念なことに、ほとんどの人がこれができていない。

それぞれの言葉で与えることを説く

数千年前の太古の時代に説かれた聖人の教えは、現代でも人生の指針として光り輝いている

キリスト・・・「愛」を与える
釈迦・・・・・「慈悲」を与える
孔子・・・・・「恕」をあたえる

「愛」とは何だろうか?
それは、与えることを意味している。

「慈悲」とは何だろうか?
それは「与えること」だ。

「恕」とは何だろうか?
これも「与えること」だ。

聖人はそれぞれの言葉で与えることを説いていたのだ。

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それではなぜ、数千年も前の教えが、現在の科学万能主義の時代に、人生のバイブルのようになっているのだろうか?

それは、人間の生き方には進歩がなく経験則が生かされないということである。人間が与えることが、できないことに由来しているのだ。

与えることができないのが自然

残念なことに私たちの多くが、誕生から成長するまで、親から与え続けられ、もらうことしか知らなかった人間である。与えることは苦痛であり、与えることができないのが自然なのである。

生まれた時から与えられる環境で育ち、社会人になるまで、すべてを親から与えられて、長年にわたる与え続けられた生活経験は、与えることを不得手にしている。それは、すなわち受け取ることができなくなっているという事だ。

人生とは、一言でいってしまうと人間関係づくりに他ならない。もっと言うと社会そのものが人間関係学だ。

与えることができないのが自然

では、この人間関係学とは何だろうか?

結論から言ってしまう、

「人間を知り自分を知ることで、
自分と相手の対立構造から
相手と自分は同一円にいる
彼我一如の世界観を構築すること。」

つまり、

与えて与えつくす世界
お互いに与え合う世界

なのだ。

自分独りでは幸福になれない

では、人間にとって人生の最大の喜びとは何だろうか?

それは、誰かに何かを与えたときに起きる喜びである。受け取ったときではない。なぜなら人間には、自分独りでは喜べない性質がある。自分ひとりでは幸福になれない性質があるのだ。

人間の最大の喜びとは、相手の喜ぶ顔を見ることによって得られる喜びである。そして、何かを与えるためには受け取ってくれる人が必要になる。与える人も受け取る人も同等の世界だ。お互いに与え合うことで、喜びと幸福がお互いに増幅していくのが人生の真髄だ。無人島では不可能な世界である。

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まず与える、そして受け取り、さらに大いに喜ぶ、そして、また与える。この繰り返しが、人生の根本であり、生き方の基本となるものだ。

だから、受け取ることを躊躇しないことだ。
そして、与えることも躊躇しないことだ。

これが、あなたを豊かにする、最も大きな法則だと言っていい。

あなたが何らかの価値を得ようと思ったら、その対価を進んで払うべきだ。そうしなければ、あなたの欲しい価値は、決して手に入らない。

均衡の法則が理解できれば、なぜ、今、上手くいっていないかが見えてくる。あとは、意識的にこのバランスを取るようにしていけばいいだけである。

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