奪えば奪われるし与えれば与えられる

与えよ、さらば与えられん

「与えよ、さらば与えられん」

これは、聖書(ルカによる福音書第6章)にあるキリストの言葉です。

自分が何かをして欲しければ、まず与えてあげる。

奪えば奪われるし、与えれば与えられる。
これがまぎれもない真理なのです。

こうすることで自然とあなたのところに富と成功が流れ込んできます。

求めることの反対をせよ

キリスト教では、さらにこういいます。

「まず、収入の10分の1を神に供えよ」

成功の法則の最初がまず与えることなのです。

また、老子も次のように言っています。

「まさにこれを翕(ちぢ)めんと欲すれば、
必ず姑(しばら)くこれを張る。
まさにこれを弱めんと欲すれば、
必ず姑くこれを強くす。
まさにこれを去らんと欲すれば、
必ず姑くこれに与(くみ)す。
まさにこれを奪わんと欲すれば、
必ず姑くくこれに予(あた)う。」

            『老子』より

「縮めようとするなら、まず伸ばしてやる。
弱めようとすればまず強めてやる。
追い出そうとするならまず味方に引入れる。
取ろうとするなら、まず与えてやる。」

まさに、これは法則だといっているのです。

求めることの反対をせよ

老子というのは、徹頭徹尾、現実主義者でした。

孔子が仁という理想を説いたのに対して、老子の思想は、現実社会をどのように生きるほうがいいかを説いているのです。

その老子がまず、求めることの反対をせよと言っているのです。
ぜひ、一度、この言葉を考えてみてください。

新しい、見方が生まれてくると思います。

ビジネスにおいても同様で、お客さんを最初に動かすエネルギーは、あなたができることをまず相手に与えることなのです。

ここがすべての始まりです。

しかし、残念なことに、ほとんどの人がこれができません。

それぞれの言葉で与えることを説く

数千年前の太古の時代に説かれた聖人の教えは現代でも人生の指針として光り輝いています

キリスト・・・「愛」を与える
釈迦・・・・・「慈悲」を与える
孔子・・・・・「恕」をあたえる

「愛」とは何でしょうか?
それは、与えることを意味しています。

「慈悲」とは何でしょうか?
それは「与えること」です。

「恕」とは何でしょうか?
「与えること」なのです。

聖人はそれぞれの言葉で与えることを説いています。

それではなぜ、数千年も前の教えが、現在の科学万能主義の時代に「人生のバイブル」になっているのでしょうか?

それは、人間の生き方には進歩がなく経験則が生かされないということです。
人間が「与える」ことが、「できない」ことに由来しているのです。

与えることができないのが自然

残念なことに私達は、誕生から成長するまで、親から与え続けられ、もらうことしか知らなかった人間は、与えることは苦痛であり、与えることができないのが自然なのです。

生まれた時から与えられる環境で育ち、社会人になるまで、すべてを親から与えられて、長年にわたる与え続けられた生活経験は、与えることを不得手にしているのです

人生とは、一言でいってしまうと人間関係づくりに他なりません。
もっと言うと社会そのものが人間関係学でもあります。

与えることができないのが自然

では、この人間関係学とは何でしょうか?

結論から言ってしまいますと、

「人間を知り自分を知ることで、
 自分と相手の対立構造から
 相手と自分は同一円にいる
 彼我一如の世界観を構築することです。」

つまり、

与えて与えつくす世界
お互いに与え合う世界

なのです。

自分独りでは幸福になれない

では、人間にとって人生の最大の喜びとは何でしょうか?
それは、誰かに何かを与えたときに起きる喜びです。

受け取ったときではないのです。

人間は、自分独りでは喜べない性質があります。
自分ひとりでは幸福になれない性質があるのです。

人間の最大の喜びとは、相手の喜ぶ顔を見ることによって得られる喜びなのです。

そして、何かを与えるためには受け取ってくれる人が必要です。
与える人も受け取る人も同等の世界です。

お互いに与え合うことで、喜びと幸福がお互いに増幅していくのが人生の真髄です。

無人島では不可能な世界です。

まず与える、そして受け取り、さらに大いに喜ぶ、そして、また与える。
この繰り返しが、人生の根本であり、生き方の極意となるものなのです。

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