自分は正義という思い込みが争いを産む
争いの元になる感情には、自分は正しくて相手が間違っている、こうした考え方がある。自分が正しいから相手が悪いはずだ、だから争いをしてでも自分の正義を貫き通す。これが、根本の間違いだ。ものごとの正邪を決める物差しなど存在しない。
争いの元になる感情には、自分は正しくて相手が間違っている、こうした考え方がある。自分が正しいから相手が悪いはずだ、だから争いをしてでも自分の正義を貫き通す。これが、根本の間違いだ。ものごとの正邪を決める物差しなど存在しない。
行動と結果は繋がっている。だから別の結果を求めたければ、別の行動をしない限り求めた結果は現れない。これが当たり前のことだ。しかし多くの人が別の結果や別の未来を願いながら、これまでと同じ行動を繰り返している。結果を変えたければ行動を変えればいい。
人は愛に生きる動物である。誰かに愛されたい、誰かや何かを愛したい動物である。しかし、この愛が足りなくなると誤動作をおこしてしまう。これが憎しみである。愛の代わりに憎悪が心の中に住み着くのだ。
問題を抱えている人や夢を描いている人などは、明日どうしようとか未来のの計画に意識がいく。しかし現実的に未来を変えていくのであれば、目の前のことにしっかりと全力で取り組んでいくことだ。未来は今の延長線上にしかない。
自分の身に起こるほとんどの問題は、自分自身に原因がある。もっとわかりやすく言えば自分の心や感情がが勝手に問題化しているだけである。だから自分の心や感情を変えるだけで、多くの問題は自然と解決できる。
「聖書」の一節に「汝の隣人を愛せよ」という有名な言葉がある。あまりに有名だから知っている人も多いだろう。しかし、正しくは「あなたの隣人を自分と同じように愛せよ」となっている。ここで大事なのは“自分と同じように”という部分だ。
威張っている人、自分はすごいと自ら言っている人、感情を常に顕にしている人。こうした人は自分の弱さを隠すために荒々しい行動やポーズをとっている。本当に強い人、凄い人ほど外見は強そうに見せないし、凄いと思われないような態度をとるものである。
人間は誰でも劣等感を持っている。これは集団の中にいる限り必ず持ってしまうものだ。完全で最高の人間はこの世の中に存在しない。だから全ての人が誰かと比べて必ず劣等感を抱く。しかし他人と比べる愚に気づけば劣等感は自ずと消えていく。
自信とは周囲に振り回されない心の状態をいう。自信がないと悩む人はまず自分が自分自身を信じることだ。そうすれば他人もあなたを信じるようになる。他人があなたのことを信じるようになればそれがあなたの自信を支えるようになる。
人は皆、自分が絶対的に正しいと思いがちだ。そして、自分に合わせて他人が変わることを望む。これは誰もが皆同じように思っていて現実にはできない。そうであるならば自分が変われば簡単である。他人との関係は相対的なもので自分が変われば結果的に同じことだ。