人生のどん底から一瞬で反転させる方法
人生は、落ちる時には坂を転がるように落ちて行くものである。私は過去に事業で酷い失敗をして、人生のどん底に落ちたと感じたことがある。しかし、これは、一瞬にして、落ちたわけではない。振り返ってみれば、そこに至るまでは何年もかかって落ちているのだ。
人生は、落ちる時には坂を転がるように落ちて行くものである。私は過去に事業で酷い失敗をして、人生のどん底に落ちたと感じたことがある。しかし、これは、一瞬にして、落ちたわけではない。振り返ってみれば、そこに至るまでは何年もかかって落ちているのだ。
突然の不幸や困難が訪れた時、人は自分の運の悪さを呪う。しかし、不幸や困難は偶然に引き起こされるわけではない。そこには必ず原因がある。だから不幸や困難はその間違いを修正するチャンスでもあるのだ。
「人生、冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に堪え、以て大事を成すべし」これは、中国清の時代の哲学者で政治家でもあった曽国藩の言葉である。誰の人生にも様々な局面があり「どうにもならない」深刻な時期がある。こうした時期に大事なのは「じっとしている」ことだ。
人間は誰しもが過去に縛られている。不幸な記憶に特に強く縛られてしまう。何度も嫌なことを思い出し、反芻し感情を高ぶらせ、怒りを増幅させて生きている。これでは、過ぎ去った過去の記憶に刺激され不幸しか感じられなくなる。
世の中は、そんなにいいことばかりが続く訳が無い。ほとんどの人がそう思っている。しかし、いいことが続くことも多いのだ。幸せになると、必ず不幸が襲ってくるなどありえない迷信である。しかし、多くの人がこう信じている。だから自らブレーキをかけてしまう。
不幸というのは、自分の中で不幸だと決めている場合が多い。本来物事には不幸も幸福もない。ものすごい不幸だと思うことも、見方を変えれば幸運だったということもある。不幸や幸福とは、自分自身の心が作り出す価値観であって実在ではない。
人が不幸を感じる時は、自分の期待していたことが思いどうりにならなかった時だ。しかし、この期待とは、そもそも自分が勝手に思い込み感情で作り上げたものなのだ。感情で、勝手に期待をし、それがうまくいかないと感情で勝手に不幸を感じてしまうのである。
金に引っかかりすぎて、金が一番になってしまうとうまくいかないものだ。金のために誰かを使って、自分だけ得をしようと考える。これが、一番不幸になる金の使い方だ。金は大事にしなければいけないが、金を愛しすぎてしまった場合は、かえって不幸になる。
にこやかにしている人ほど壮絶な体験をしている。偉そうにふんぞり返っている人、苦しそうに見せている人は、それほどでもないことが多いものだ。大きな苦しみを乗り越えた人ほど、実際には柔和で笑顔を見せているものである。現実は見た目と反対である。
不幸とは、嫌な人や出来事がもたらすのではなく、それによって引き起こされた心や感情がもたらすのだ。一度こうした感情が沸き起こると、それが心にへばりついて離れなくなる。何度も何度もくり返し反芻するのだ。こうして、心が不幸に引きずり込まれていく。